大阪府豊中市と吹田市にまたがる千里丘陵に造成された「千里ニュータウン」は日本初の大規模ニュータウンといわれる。初入居は1962年。その後、日本各地にニュータウンが誕生したが、その多くは人口減少と高齢化に悩まされている。一部では、道路・上下水道といったインフラが朽ち果て、住宅地として機能していない“限界ニュータウン”もあるが、他方で再生の兆しを見せるニュータウンも出てきている。一体その明暗はどこで分かれたのか──。フリーランスライターの小川裕夫氏が分析する。
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日本初の大規模ニュータウンとして誕生した「千里ニュータウン」
2024年3月、北大阪急行電鉄(以下、北急)が延伸を果たした。北急は新たに千里中央駅―箕面萱野駅の約2.5kmを開業させ、大阪府箕面市にも進出した。この延伸により、梅田・天王寺・難波などとも鉄道で直結。通勤動線として期待されると共に、沿線のベッドタウン化にも弾みがつくと見られている。
北急は1970年に大阪府吹田市の千里丘陵で開催が決まっていた日本万国博覧会(大阪万博)の来場者輸送を担う鉄道路線として計画された。
当初は大阪市営地下鉄(現・大阪メトロ)御堂筋線をそのまま延伸させる計画だったが、大阪市が採算性を疑問視して拒否。そうした経緯もあり、京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)や大阪府が出資する第三セクターの鉄道として北急が設立された。北急は御堂筋線の江坂駅から継ぎ足す形で江坂駅―千里中央駅間を万博開幕直前に開業している。
開業前から、万博閉幕後は利用者が大幅に減少することが予想されていた。そのため、大阪府・大阪府住宅供給公社・日本住宅公団(現・UR都市機構)・北急の親会社でもある京阪神急行電鉄などによって沿線開発が進められた。
沿線に広がるのは豊中市・吹田市にまたがる千里ニュータウンだ。1962年に初入居が始まった千里ニュータウンは日本初の大規模ニュータウンとも言われ、“理想的な人工都市”を標榜した。想定人口は約15万人。巨大な都市をゼロから築く前代未聞のプロジェクトだったため、それまでの住宅地開発にはなかった近隣住区と呼ばれる概念を用いた。
近隣住区とは、小学校区をひとつのコミュニティーとして捉え、商店やレクリエーション施設を計画的に配置し、それらを幹線道路で区切って町割りする手法だ。幹線道路は歩行者と自動車を完全に分離する歩車分離という思想が盛り込まれたが、これも日本の都市計画において斬新だった。
また、無機質な街にならないように住宅地をグリーンベルト(千里緑地)で囲むという工夫も凝らしている。