ニュータウンが抱える問題の本質は「住民の新陳代謝が悪い」

 千里ニュータウンのまちづくりが画期的だったことから、その後、全国各地で次々と産声を上げるニュータウンも千里を模倣していくが、その多くは人口減少・高齢化に対応できず、歳月の経過と共に荒廃した。ニュータウン内に整備された道路・上下水道といった生活インフラは更新・補修されずに朽ち果て、街から人を遠ざけていった。

 2000年代に入り、各地のニュータウンは“オールドタウン”と揶揄され、2010年代には悲壮感が漂う“限界ニュータウン”とも形容される。限界ニュータウンというネーミングは、人が住まなくなった限界集落になぞらえている。

 日本全体が人口減少・高齢化しているのだから、何らかの対策を講じなければ限界ニュータウンの道を突き進むのは当然の成り行きといえる。それでも行政はニュータウンのテコ入れを放棄し、ただ時代の流れに身を任せるだけだった。

 筆者は、これまでに千里ニュータウンをはじめ、「ゆいの杜テクノポリスセンター(栃木県)」や「多摩ニュータウン(東京都・神奈川県)」、「港北ニュータウン(神奈川県)」、「金沢シーサイドニュータウン(神奈川県)」、「桃花台ニュータウン(愛知県)」、「みどり坂ニュータウン(広島県)」といった数々のニュータウンを訪ね歩いてきたが、全てのニュータウンが一律に人口減少・高齢化をたどって荒廃しているわけではない。

 このほど延伸開業を果たした北急は、千里ニュータウンを突き抜けて箕面市に到達した。同市は千里ニュータウンに属さないが、新たに誕生した箕面船場阪大前駅や箕面萱野駅の駅前では「ニュー・ニュータウン」とも言うべきまちづくりが進められ、20代、30代の子連れ夫婦や学生たちをあちこちで目にした。

北大阪急行電鉄の新しい終点となった箕面萱野駅。ショッピングモールが併設されており、家族連れでにぎわう(2024年3月、筆者撮影)

 ニュータウンが華やかだった1970年代も、こうした光景が広がっていたことは想像に難くない。ニュータウンが抱える問題の本質は、住民の新陳代謝が悪い点にある。北急の延伸は新たに若い世代を呼び込み、再び新陳代謝を促している。それだけに、ニュータウン再生の起爆装置としての側面もあるのだ。

北大阪急行電鉄が延伸し、新たに箕面船場阪大前駅が開業。駅前には大型公共施設があり、憩いの場となるオープンスペースも設けられている(2024年3月、筆者撮影)