再生の兆しを見せるニュータウンに共通する「鉄道網の整備」

 新しい人を呼び込んで再生の兆しを見せるニュータウンに共通するワードは、大学と公共交通の2点だ。

 大学は原則的に若者が多く通っている。自宅から通学している学生もいるだろうが、親元を離れて大学から近い場所で一人暮らしをしている学生も少なくない。そのため、大学周辺には学生をターゲットにした店舗が並び、それが街のにぎわいをけん引する。

 そして、ニュータウン住民にとって欠かせない通勤の足として効果を発揮したのが鉄道だ。

 昭和20年代までは個人経営の商店や町工場などが多かったが、ニュータウン開発が盛んに行われた高度経済成長期は企業勤めのサラリーマンが増えていった時代でもある。交通機関を使ってオフィスへと通勤するサラリーマンに住んでもらうため、ニュータウンは鉄道とセットで計画・開発されることが多かった。

 ニュータウンの整備には鉄道開発が不可欠であることは常識だと思われるかもしれないが、高度成長期は違った。戦後の混乱期が終わったころからマイカー所有者が増え、移動手段のトレンドは鉄道から自動車へと移行していた。

 事実、前出の千里ニュータウンでも道路整備を優先しており、鉄道は後回しにされた。そのため、当初は移動手段がバスしかなかった。

 千里ニュータウン内に鉄道が走り始めるのは入居開始の翌年にあたる1963年で、京阪神急行電鉄が千里山駅―新千里山(現・南千里)駅間を開業してからだった。しかし、同区間だけでは広大なニュータウンをカバーできず利便性は悪かった。

 そして、長らく陸の孤島と化していた千里ニュータウンは、1970年の日本万国博覧会(大阪万博)の開催を機に北急が開業した。

 鉄道網の新たな整備は、単に鉄道という動線を加えるだけの効果だけにとどまらない。街が面的に広がり、それが住宅開発の呼び水になる。そして、若い世代の転入という現象へとつなげることを可能にした。

箕面萱野駅を出発する電車。延伸開業後は急ピッチで都市整備が進められている(2024年3月、筆者撮影)

 鉄道は固定化された動線だからこそ大きな威力を発揮する一方で、一度整備するとバス路線のように簡単には改編できず廃止も難しいというデメリットがある。また、建設費といったイニシャルコストも莫大だ。そのため、鉄道の整備は用意周到なシミュレーションが求められる。いくら鉄道を整備しても、その動線が実態に合致していなければ無用の長物になる。