労組は民主党の支持基盤に

 世界一の鉄鋼メーカーになったUSスチールは鉄鋼価格のプライスリーダーとなっただけでなく、労働者の賃金面にも大きな影響を与えるようになります。労働組合のUSWも政治力を発揮し、民主党の大きな支持基盤となっていきます。

 ちなみに、1874年(明治7年)以降の記事を検索できる読売新聞のデータベースによると、「USスチール」という語句が最初に登場するのは同社誕生を伝える「米国製鉄業大同盟 11大製鉄会社、資本金合計7億5400万ドル」(1901年3月17日)という記事です。それ以降も明治、大正、昭和初期まで鉄鋼価格や労働組合の賃上げ闘争に関する記事を断続的に掲載。日本から見たUSスチールがどのような存在だったかをうかがい知ることができます。

 USスチールの本社が置かれたのは、ペンシルベニア州のピッツバークです。同州のほか、イリノイ州、インディアナ州、ミシガン州、オハイオ州など米国の中西部から北東部にかけては鉄鋼メーカーや自動車、石炭など重厚長大産業が集中しました。

 これらの産業が衰退した近年、これらのエリアは「ラストベルト(錆びついた工業地帯)」と呼ばれるようになりましたが、USスチール誕生から第2次世界大戦後にかけては躍進する米国を支える存在だったのです。

 USスチールの従業員は、最盛期の1943年に約34万人を記録しました。巨大なダムや橋、ニューヨークの超高層ビルに代表される高層ビル、一般消費者も購入可能になった自動車……。躍進する米国経済は「鉄」の存在を抜きにしては語れません。

 他方、市場支配力があまりにも強かったことから、USスチールは石油大手のスタンダード・オイルなどと共に反トラスト法(独占禁止法)の強化をうながす要因にもなりました。