武器輸出に関する政府のルール「防衛装備移転3原則」が3月に改定され、日本・英国・イタリアが共同開発する次期戦闘機の輸出に道が開かれました。戦闘機という「殺傷能力」を持つ武器の輸出を認めてよいかどうかの議論には、およそ1年もの時間が費やされましたが、いったい、どういう方針になったのでしょうか。日本にはどんな利点があるのでしょうか。専門記者グループのフロントラインプレスがやさしく解説します。
かつて武器輸出は事実上「全面禁止」
防衛装備移転3原則とは、防衛装備品(武器やその関連品など)を海外へ移転(輸出)する際のルールを定めたものです。2013年12月に策定された「国家安全保障戦略」に基づいて、翌2014年4月に制定されました。
実は、現行のルールが制定される前の日本には「武器輸出3原則」というルールが存在していました。第2次世界大戦の敗戦国だった日本は戦後、日本国憲法に戦争放棄と戦力の不保持を盛り込み(9条)、平和国家として国づくりを進めると同時に、武器輸出に関しても非常に抑制的な姿勢を保持していました。
1960年代の高度経済成長によって国内の防衛産業が次第に裾野を広げるようになっても、政府方針として共産圏や紛争当事国への武器・関連品の輸出は原則として禁止を貫きます。
そうした流れのうえで、1976年には当時の三木武夫政権が武器輸出3原則を確立させました。この原則の下で、①共産圏、②国連決議で武器輸出が禁止されている国、③紛争当事国や紛争の恐れがある国への武器輸出を禁止したうえ、それ以外の地域についても輸出は「慎む」との方針を明確化しました。
武器そのものではなくても、武器の製造を可能とする設備の輸出も制限しました。武器輸出のハードルは極めて高く、事実上、全面禁止と言っても過言ではない状況でした。武器輸出3原則に“禁止”の2文字を加え、「武器輸出禁止3原則」と別称したのもこのためです。
戦争体験者がたくさんいた2000年ごろまで、日本社会には「もうあんな悲惨な経験はしたくない」「戦争はこりごり」として武器に対する強い拒否感が残っていました。そうした国民の意識を背景とし、武器輸出を全面禁止する方針が支持されていたのも事実です。
ところが、日本を取り巻く国際環境は大きく変化しました。“平和憲法の理念を貫く”という理想だけを掲げてよしとする時代は遠くに過ぎ去り、日本から遠く離れた中東地域などの平和と安定についても日本は具体的な貢献を求められるようになりました。武器輸出に関しても従来型の禁止を貫けば済む状況ではなくなりました。
そこで従来の武器輸出3原則に代わるものとして生まれたのが、防衛装備移転3原則です。制定は2014年。安倍晋三首相時代のことです。