「茅乃舎だし」が生まれたきっかけ
久原本家は1893(明治26)年に旧久原村(現在の久山町)で誕生した、久山町で代々続く醤油蔵。4代目となる河邉社主が家業に入社した45年前はどこにでもあるような地域の醤油蔵だったが、餃子のタレやラーメンスープ、ドレッシングなどの調味料に乗り出したことをきっかけに成長軌道に乗り始める。
1990年には自社製造のタレを使った博多からし明太子の「椒房庵(しょぼうあん)」を上市。味にこだわり、北海道産スケソウダラの希少な卵を原料に使ったため、利益が出るまでには時間がかかったが、通信販売と直販店による販売に特化したことで利益率は改善。総合食品メーカーとしての地歩を固めた。

その久原本家が満を持して始めたのが、御料理茅乃舎である。
当初、河邉社主は地域の食材を用いた伝統的な食文化を表現する場にしようと茅乃舎を開いた。「気づきの場にしたかった」。そう河邉社主が振り返るように、伝統的な日本食をここで味わい、「やっぱり日本食はいいよね」「たまには作らないとね」という思いを持って帰ってほしいと考えていた。
ところが、伝統的な和食は作りたいけれど、本当に作ろうと思えばだしからとらなければならない。さすがにそこまではできませんよ──という声も聞こえた。「ならば」と河邉社主は福岡では一般的な焼きあごを使っただしを商品化することにした。それが、「茅乃舎だし」である。
今でこそ値の張った高級だしを贈答品などで贈る人も増えているが、その当時は、だしといえば大手食品メーカーのマスブランドが主流。河邉社主も、イメージしていたのはあくまでも土産物需要で、大好きな福岡の食文化を全国の人に知ってもらえれば、という程度の期待値でしかなかった。
それがどうだ。「茅乃舎だし」はあれよあれよという間に全国区。本物を求める人々の普段使い需要、人とは違うものを贈りたいという贈答品市場を切り開いた。