(歴史ライター:西股 総生)
御殿は明治時代に移築されたもの
二条城には本丸にも御殿が建っているが、城とは関係ない建物を明治になって移築したものだ。現在は修復工事中で見学できないので、このあたりまで来ると観光客の数はぐっと減る。
本丸の南西隅に天守台があるので、登ってみよう。ここにはかつて五重の天守がそびえていたが、江戸時代の中頃に落雷で焼失してしまった。ただし、天守台の石垣は非常に立派で、技巧的にもすぐれたものだ。
天守台の上からは、本丸裏門(西門)跡の外枡形がよく見える。ここも、外枡形と内枡形をセットにした超厳重な防備態勢である。
注目したいのは、本丸内側の石垣。本丸の内側は、ほぼ全面が雁木坂となっている。雁木坂というのは、武器を持った城兵を配置につかせるための石段だ。その雁木坂を本丸内側の全面に施している城なんて、滅多にない。
要するに、本丸の守備を一斉に固めるための工夫だから、精鋭の戦闘部隊を本丸に待機させることを前提とした設計である。虎口の造りといい、雁木坂といい、何と実戦的な構えであろうか。
他にも、二ノ丸には2か所の中仕切り門があるが(現存)、二ノ丸の内部に敵が侵入した場合でも、全体が一気に戦場にならないための工夫だ。二条城は徳川将軍家の権威を示すための城だとかいう人が、世の中にはちょくちょくいるが、いったいどこを見て二条城を語っているのかと思う。