春日山の上杉謙信像 写真/アフロ

(歴史家:乃至政彦)

大河ドラマの今川義元は「太守」

 今年の大河ドラマ「どうする家康」では、今川義元が「太守様」と呼ばれていた。大名の敬称といえば「御屋形様」をイメージする人は多いと思うが、なぜドラマの義元はそう呼ばれていないだろうのか。

 その答えは単純だ。

 すでに義元は家督を息子の今川氏真に譲り渡していたから、「御屋形様」と呼ばれなくなったのである。桶狭間の直前に、もしも家臣の誰かが評定の場で「御屋形様」といったら、「なんじゃ?」とその顔を見るのは義元ではなく、氏真になってしまう。屋形の座を隠居したのだから、別の敬称で呼ばれる必要があり、ドラマの義元は「太守」という唐風の敬称が使われたのだ。

 大まかには以上のルールが普通だが、戦国時代の称号はケースバイケースで、大名家によっては他家に見られない習慣や縛りが反映されていることもある。

屋形号は公儀の許可制

 いくら優れた戦国大名であろうとも、全員が「屋形」を自由に名乗れたわけではない。

 例えば上杉謙信は、長尾景虎と呼ばれていた若き頃は「殿様」と呼ばれていたが、将軍・足利義輝と直接面談したあと、「屋形号」すなわち「御屋形様」と呼ばれる許可をもらって、以後は守護でもないのに、「御屋形様」と呼ばれるようになった。

 世襲した場合は、許可をもらう必要はなかったらしいが、そうではない「出来星」の成り上がり大名にとっては、将軍に許可を得られなければ、到底使用できないものだった。中には勝手に使っている大名もいたかもしれないものの、表向きには幕府の公認が必要だったのである。