(歴史家:乃至政彦)
大内義隆最後の作戦
天文20年(1551)──。
周防の大内義隆はながらく雌伏の時にあったが、いよいよ壮大な作戦を始動するところにあった。
「ここまで当家の地獄を見てきた者たちだ──」
義隆は三人の重臣の顔を思い浮かべ、「──面構えが違う」と心のうちで呟いただろう。
周防守護代・陶隆房(すえたかふさ)。もと美少年。従五位上。当家筆頭の武功派である。周防は義隆の本国だが、実務は彼に任せておけば安泰だった。領民や商人からも慕われている。
豊前守護代・杉重矩(すぎしげのり)。隆房とは険悪だったが、昨年仲直りしたようだ。心の広い男である。時々いらざる諫言をしてくるが、宥めていればそのうち黙るようになる。
長門守護代・内藤興盛(ないとうおきもり)。文人としても武人としても周囲から一目置かれるところがあり、ザビエルが山口に来たときは義隆との面談を成功させた。冷静な判断のできる男である。
このほか、筑前守護代・杉興運(おきかず)と石見守護代・問田隆盛も有能で誇らしい忠臣たちである。彼らがいるからこそ義隆も胸を張れる。
彼らの忠勇こそ大内家の宝であると義隆は思っていたはずだ。そして重臣たちの未来に期待を寄せていた。
それぞれ癖はあるものの、これをうまくコントロールして、ひとりとして欠かすことなく、率兵上洛を実現すれば、文武両用の王道が果たされる。そうすれば乱世は完全に終わるだろう。
出雲の尼子晴久とも講和して、個々のくだらない紛争を過去のものとしなければならない。京都の将軍を超えて、従二位に叙され、さらに参議に任じられた義隆は、まさに王道の実現者たらんとしていた。