今川義元本陣跡 写真/KEI108/イメージマート

(歴史家:乃至政彦)

桶狭間で降った雨を

 桶狭間合戦では、合戦前に雨が降ったことが有名である。

 合戦の様子を伝える史料でもっとも信頼できるとされる『信長公記』首巻(天理本)においても、次のように記されている。

山際まて懸かれ候処ニ、俄(にわか)大雨、石氷を投打様ニ、敵の輔(ツラ)に打付て、身方ハ後ノ方ヘ降懸ル、沓懸之到下のふたかひ・三かひの楠之木、雨ノ東ヘ降倒ル、

(【意訳】織田信長が密かに、今川義元の本陣がある桶狭間山の間近まで接近して、これから攻撃するところに、いきなり大雨が降り、敵・今川義元隊はこの投げ打つような痛い雨を顔面に受け、味方・織田信長隊は背中にこれを受けた。沓懸の峠に生えていた二抱えも三抱えもありそうな楠の巨木が西からの豪雨で東に倒れた)

 この一文には、かなりの情報量がある。桶狭間山に布陣する今川義元は、西に向かって布陣していた。徳川家康が大高城に兵糧を運び入れる様子を眺めて悦に浸っていたことであろう。

 だが、織田信長はそこへ密かに近いた。これは同書に信長の部隊が隠れながら進んだとあることによって読み取れる。ただ、信長は義元の本陣がどこにあるか確証を得られていなかったらしい。そこへ突然の豪雨が降りかかった。

 しかも単なる豪雨ではなく、巨木を打ち倒すほどの勢いであった。戦国時代の戦場でこのようなことがあったらどうなるか。まず鉄炮はずぶ濡れで使えなくなるだろう。義元は高地に布陣していた。防御の柵や盾も立ち並べていたであろう。現在、桶狭間古戦場跡とされる高地はなだらかで、大海から怪獣が現れる時の噴水みたいに急に高くなってはいない。