連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識

国芳の作品で最も広く知られている『相馬の古内裏』勇士と妖術使いとの決闘を迫力満点に描き出している

 戦国時代や動乱、中世から近世への移行が推進された安土桃山時代。

 庶民を覆っていた憂き世観は厭世的な世相があった。

 だが、江戸時代に入ると平和と安定により、ようやく庶民の生活にも曙光が差し始めた。

 どうせままならぬ「憂き世」なら面白おかしく暮らそうとの刹那的、頽廃的、享楽的な思想が蔓延し「憂き世」が「浮世」へと変換されるようになった。

「浮世」という言葉には「現代風」という意味があり、浮世絵とは、江戸時代の人物や風景を描いたもの。名所が各地に点在する東海道をテーマとしたものも多い。

江戸時代、東海道の旅が一般化

 江戸時代慶長6年(1601)、徳川家康は「五街道整備」により、5つの街道と「宿(しゅく)」を制定。

 徳川幕府は江戸・日本橋から京都・三条大橋に至る宿駅を53箇所、いわゆる東海道五十三次を定め、街道としての「東海道」が誕生する。街道には問屋場、伝馬を常置させた。

 正保3年(1646)、江戸と大坂間の駅路図が完成されたことで東海道の旅が一般化、庶民の往来が頻繁となる。

 すると大名行列、飛脚、馬子、かご屋、大山参りの一行や参宮参りの人々、方浪人、行商、博徒の旅ガラス、僧侶、旅人、女すりなど、道中の往来も頻繁となり、旅籠も発展、飯盛り女などの遊女が現れた。

 旅という語源的な意味は「たどる日」の略語だといわれる。また、旅は「他火」であって、定住の地を離れて他郷に寝食をすることでもある。

 江戸時代、庶民が旅に出るということは「生きて帰れないかもしれない」という覚悟をした一方、日常からの解放感と見知らぬ新たな世界への遭遇といった期待に満ちあふれていた。

 今も昔も知らない土地を旅する上で、重宝されるのがガイドブックだが、旅行における書物には2つの傾向がある。

 一つは紀行もので旅日記などの文学書。もう一つは旅行案内書としての「道中記」である。

 街道の旅が一般的となった時、まず発刊されたのが、この「道中記」である。道中の順路とか宿駅間の里程、名所旧跡や名物などが記されている。

 そうした旅の案内書には旅日記を擬した諸書が数多く出され、十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』の形式を擬した好色本(性風俗の案内書)も種々ある。

 行房秘戯や性的秘事を記した歌川国芳による艶本『東海道五十三次』も『東海道中膝栗毛』の影響を受けながら、江戸期庶民の性風俗を映し出している。