連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識

「平家にあらずんば、人にあらず」といわれた時代。知性と品格、そして教養を兼ね備えた平家の女房は田舎侍の板東武者にとって、まさに手の届かぬ高嶺の花だった

 前回のコラム、「人生たった一度の春情、平家・女房に溺れた弁慶」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69986)では『壇ノ浦戦記』に綴られた弁慶と女房との情交に焦点を当てた。

 今回は、さらに熱量が上まわる源義経が壇ノ浦で捕らえた絶世の美女・建礼門院徳子への過激な責めと、性的技巧を駆使した情交場面に踏み込んでみたい。

 では、『壇ノ浦戦記』とは何か、今一度おさらいしてみよう。

 平家を打ち破った義経が捕えた平清盛の娘で安徳天皇の母・建礼門院と義経との物語、『壇ノ浦戦記』 は、春本の古典として江戸時代から昭和にかけて広く読まれてきた官能本である。

 物語は、源氏勝利の船中で、捕らわれの皇太后が義経に強引な肉体関係を結ばされたという江戸時代の通説によるものだ。

『源平盛衰記』に記された彼女自身による告白が、その通説の出処となっている。

義経の謀に堕ちた女院

 何をするにも、初めはいいが終わりまで全うするのは、中々に難しいものである。

 多分に漏れず、世の中の女で、若くして夫を失い、その後、生涯貞女と呼ばれるような人も稀といえよう。

 特に女盛りの30歳前後で完全に後家を立て通す女は非常に珍しいのではないだろうか。

『壇ノ浦戦記』の女主人公・建礼門院平徳子は、平清盛と正室(継室)・時子との間に生まれた次女で高倉天皇の皇后・安徳天皇の母である。

 高倉上皇と清盛が相次いで没し、木曾義仲の攻撃により都を追われ、背水の陣を敷いた平家は壇ノ浦の合戦で源氏方に追い詰められる。

 すると平清盛の妻で安徳天皇の祖母・二位殿は宝剣を腰に挿し、神璽を脇に抱え安徳天皇を抱き申し上げ、荒波に身を投じると、玉体ともども千尋の海の底深く沈んでいった。