連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識

勢いに乗り女房たちが乗る舟に迫る板東武者たち

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂には滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ 『平家物語』」

(祇園精舎の鐘の音は、あらゆるものの儚さをあらわし、沙羅双樹の花の色も、盛んな者でさえ必ず衰えるという道理を示しているかのようです)

(奢り高ぶる人も、その栄華は長くは続かず、それは春の夜の夢の如きもの。猛々しくあっても、いずれ滅びゆくのが、その定め。それは吹き飛ばされる風の前の塵のようなものです)

 鎌倉時代に成立した『平家物語』は、保元の乱(1156)と平治の乱(1160)に勝利した平氏と敗れた源氏、そして以仁王の反乱(1180)から壇ノ浦の戦い(1185)までの源平の戦いにおける平氏の栄華と没落を描いた軍記物語である。

 だが源平合戦には『平家物語』には記されていない、もう一つの物語がある。

 壇ノ浦の合戦で平家を打ち破り、義経が捕らえた平清盛の娘で安徳天皇の母・建礼門院平徳子と義経との逸話は『壇ノ浦戦記』に詳細に活写され、その禁断で卑猥なる内容は、春本の古典として江戸時代から昭和にかけて広く読まれてきた。

 別名『壇ノ浦夜合戦記』とも呼ばれる、この話は諸説あるが思想家で詩人・頼山陽(らいさんよう)の作とされる。

 壇ノ浦の合戦で源氏が勝利を収める中、義経の船中で、捕らわれの皇太后・建礼門院平徳子に、義経が強引に肉体関係を迫ったという通説は『源平盛衰記 巻48・女院(太后)六道めぐり』・「九郎判官(義経)に虜れて(中略)畜生道に云なされたり」の女院自身による告白が、その根拠となっている。

 また、もう一つの原由として、幕末から明治にかけて最も読まれた史書『日本外史』にも兄・源頼朝が云った「壇ノ浦ノ役二太后ト舟ヲ同ジウシ」が、弟・義経と建礼門院との情事に嫉妬をあらわしているとされる。

 武蔵坊弁慶は義経と男色関係にあったと『義経と弁慶に深い男の契りあり』(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69396)で綴った。

 女の味を知らない童貞だった弁慶は、壇ノ浦で生涯一度の女性とのまぐわいを果たすなど、『壇ノ浦戦記』では、源氏男と平家女の夜の情交の様子を克明に描いている。