連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識
江戸時代後期の成人向け絵解き本「七七四草(ななしぐさ)」には「女見の女を衒(う)るところより、女衒(ぜげん)と書き、音読み転訛してゼゲンと呼ばれるに至れるならん」とある。
娼婦としての価値を見定める目利きを女見と呼んだ。
女衒は、凶作で生活に窮した貧農の親から娘を買いとり遊廓などに売り、売春労働に斡旋することを業とした人買い稼業で、嬪夫(ぴんぷ)とも呼ばれる。
風来山人こと平賀源内の滑稽序文集『細見嗚呼御江戸序』の序跋には、目鼻から爪の先、指のそりよう、歩みぶりまで注意して、その後価格が定まる、とある。
娘を買い取る査定として極上、上玉、並玉、下玉という格付けがあり、それを瞬時に見極める、女性を見る術の秘伝があった。
遊女・瀬川と客・五郷との悲恋を描いた戯作に『契情買虎之巻(田螺金魚 著:安永7年(1778)刊)』がある。
その中で、親が病いに伏せっているからと、兄と称する女衒が娘を吉原の妓楼に売りとばすシーンでは、楼主は女を見てはすぐに気に入り、奉公人に命じて目先の利く女衒の権二を呼ぶと、権二は次のようにその娘を即座に鑑定している。
「この娘でございますが、まず、なたまめ、からたちの気遣いもなしと。そして小前で、足の大指も反るし、言い分なしの玉だ」
娘の身売り額の1~2割が、斡旋仲介手数料として徴収される。その際、女衒は文字の読み書きが達者で、証文を認めるなど文書構成能力があり、遊廓や岡場所、貸座敷業には欠くべからざる存在であった。
日本の戦場では古くから勝った方が負けた国の男女を戦利品として拉致する「乱妨取り」が行われていた。