愛情のない不特定多数の男性に金銭と引き換えに自らの肉体を自由にさせる生業は、その肉体のみならず精神まで蝕むことが多いとされる。

 一夫一婦制の婚姻方式が一般的となりつつあった当時の日本で、売春はモラルに反することであり、それに従事せざるを得なかった女性たちは、世間から無慈悲な差別を受けるのが普通だった。

 ましてや、借金でがんじがらめにされ、いつまでたっても貧窮とは縁が切れないとなれば、精神的に絶望して投げ遣りとなって挙措を失う人も多いだろう。

 しかし、彼女らは心が潔く、清らかに澄み切ったかのように、暗鬱がなく、明るく朗らかに振る舞えたのは、現実に置かれた状況にまごつくことなく、深刻な物事も忽(ゆるが)せにとらえて、気丈夫に、それを受け入れてしまう。

 それは真俗二諦の境地という絶対的真理に到達したかのようにも思えてくる。

 人は、ありとあらゆる汚濁に染まりながらも、様々な醜悪に出会えば出会うほどに、他人に対して寛容となり、円熟していくことも、稀にあるのだろう。

 女衒の顔役・村岡伊平治は、少女たちが海外に売り飛ばされることは日本のためであり、現地にも大きな利益と発展をもたらすと主張している。

「からゆきさんたちが海外に送られると、国元にも手紙を出して、毎月送金する」

「女の家も裕福になると税金が村に入る」

「どんな南洋の田舎でも、そこに女郎屋ができるとすぐに雑貨屋ができ、日本から店員が来る」

「その店員が独立して開業する」

「商社など会社の現地出張所ができる」

「女郎屋の店主も嬪夫(ぴんぷ)と呼ばれるのが嫌で商店を経営する」

「1ケ年内外でその土地の開発者が増えてくる。そのうち日本の船が着くようになる。次第にその土地が繁盛するようになる」