連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識

近代日本の基盤を築いた伊藤博文は憲法制定に尽力し、初代内閣総理大臣となった。妻、梅子は夫を陰で支え続けた賢妻として知られる

 米国の心理学者、デイビッド・M・バスの研究に、

「パートナーには平均的以上の知能レベルを求める」

「ただのデートの相手には平均的なレベルを求める」

「セックスだけ、つまり体だけの関係であれば、知的レベルでは低い相手でもかまわない」

「一度限りの関係であればさらに知能や知的レベルは求めない」との報告がある。

 だが、人が異性に対して愛情を抱く時、こうしたことは当てはまらない場合が多いものである。

 伊藤博文(1841-1909)は44歳で初代内閣総理大臣を務め、明治憲法の草案や内閣制度の導入など近代日本の基盤をつくった。

 農民の子として生まれたが、父が長州藩の足軽伊藤家に養子に入ったことで下級武士の身分を得る。

 16歳の時、吉田松陰主宰の松下村塾に入門。高杉晋作らとともに学ぶ。尊王攘夷運動に参加する。

 攘夷運動の志士たちの間では女遊びが盛んであった。

 幕末には藩からの命令で井上馨らと英国に留学。伊藤の任務は英国の産業革命後、人口爆発で世界最大の都市となったロンドンの文明レベルや、人々の風俗についての調査だった。

 そのため他の留学生より、多くの活動資金が与えられた。

 そこで伊藤はロンドンにあるソーホーやホワイト・チャペルなどの色町に入り浸り、ついには留学資金を使い果たしてしまう。