現在の兵庫県知事にあたる兵庫県令(1868)に就任した伊藤は、福原遊郭で料理屋兼宿の千崎屋を営む千崎弥五平の娘、お仲と昵懇になる。

 お仲の家は置屋を経営していたため、自身は女を売り物にすることはなかった。だが、懸命に芸を磨いてきた妖艶で典麗な女性だった。

 穏和な梅子は普段、亭主の芸者享楽には寛容だった。だが、女性は肉体よりも精神的な浮気には我慢できないものである。

 脇目も振らず千崎屋に通う伊藤の、お仲への情愛に梅子は、しだいに気鬱となり、ついには伊藤に色をなして諫めた。

 伊藤は一時慎んだものの、燃え杭には火が付き易いもので、また、お仲のもとに通うことになる。

 手に余った梅子は井上馨に相談する。

 井上は一計を案じ、兵庫県の警察官とお仲を結婚させたことで、お仲との縁は切れた。

 いつもは嫉妬しない梅子が、亭主とお仲との関係に気を揉んだのは、おそらく、お仲が自身と同じく凛と生きてきた女性だったからだろう。

岩倉具視の娘に情痴を迫る

 岩倉使節団(1871)の副使として参加した伊藤は米欧に渡った。

 使節団の特命全権大使は岩倉具視、副使官には木戸孝允(桂小五郎)、大久保利通、伊藤博文らがいた。

 その目的は日米和親条約から日墺条約に至る不平等条約の改正にあった。しかし、条約改正交渉は失敗に終わる。

 その後、明治政府は不平等条約を改正すべく海外の要人親睦を深めるために、連日、パーティを開催。社交施設、鹿鳴館では要人の接待のため仮装舞踏会などが催された。

 鹿鳴館には皇族や上流婦人も多く集っていた。