過去の戦争は日本人全体の責任

 そして戦闘機献納は産業界が主体となっていました。朝日新聞などは軍用機献納を広く呼びかけ、その結果、献納されたのは300機に及びます。その多くが特攻機になって、若者が戦死しました。本書の発行元の文藝春秋社も「文藝春秋社号」と銘打って、軍用機を献納しています。

 仏教界だけではなく、マスコミを含めた産業界も、過去の戦争をきちんと総括しないといけません。

――「戦争に熱狂する仏教界」と当時を描く中で、鵜飼さんは「日中戦争から終戦までの間に、仏教界は仏教そのものの教えとは大きく乖離し、変質した。それは、もはや『慈悲』や『寛容』を説く本来の仏教ではなかった」と厳しく指弾しています。

鵜飼氏:仏教界が戦争協力した責任は、第一義には教団組織にあるわけですが、視野を広げると、やはり日本人全体が戦争に熱狂したということだと思います。なぜなら、仏教教団や地域の寺が「戦争に協力しろ」と言っても、実際に資金を出し、協力する主体は地域の檀信徒なのですから。寺と檀信徒、あるいは婦人団体などが一体となって、戦争に協力したのです。

 仏教の説く「不殺生」や「共生」「慈悲」「寛容」などの教えの原点は捻じ曲げられ、「国体を支える仏教=皇道仏教」が推し進められました。

 本書で仏教界の戦争責任を問うているのは確かですが、当然のことながら、国家神道の主体である神社界や政治の責任は、より重いことは言うまでもありません。戦闘機献納のところで述べたように、メディアや産業界の責任も重大です。「戦争に協力して仏教界はけしからん」というような単純な話ではない。過去の戦争は、日本人全体の責任なのです。

後編に続く) https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/71134