長期化するウクライナ侵攻ではロシア正教会がプーチン大統領を支持してきた(写真:Abaca/アフロ)

なぜ仏教は国民を“殺生”に駆り立てたか――。帯にこんな刺激的な惹句が躍る新書が発売になった。執筆したのは『寺院消滅』『仏教抹殺』などの著書があるジャーナリストで、京都・正覚寺の住職を務める鵜飼秀徳氏だ。新著『仏教の大東亜戦争』では、明治維新以降、国家に接近した仏教の各宗派が、日清戦争、日露戦争、そして大東亜戦争に積極的に協力する姿を赤裸々に描いている。不殺生を戒としてきたはずの仏教者はなぜそんな行動を取ったのか。最大のタブーだった戦争協力の実態に切り込んだ鵜飼氏へのインタビューの後編をお届けする。(聞き手は編集部・高林 宏)

前編から読む
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/71132

――前編でお話しいただいたように、仏教は積極的に戦争に協力し、結果的に植民地政策をサポートする形となりました。宗教にはどういう倫理性が求められると思いますか。そもそも宗教に倫理を求めること自体、どこかおかしいような気もしますが。

鵜飼秀徳氏(以下、鵜飼氏):ジョン・レノンは『イマジン』の歌詞の2番で、国家の概念や宗教のない世界こそが理想であると歌っています。政治も宗教も対立を生む元凶になってきたではないかと。

 当時の時代背景として、ベトナム戦争がありました。聖書には「汝、殺すなかれ」と書いてあります。しかし、キリスト教は常に戦争に対して無力であるどころか、対立を生む源泉になり、十字軍の遠征のようにそのうち、聖戦を掲げ出します。

 そうした、宗教の「理想」と「現実」の矛盾に対し、ジョンは「宗教は必要ない」と言いたかったのかもしれません。ウクライナ戦争でもロシア正教会が戦争を正当化し、協力し続けています。

 しかし、宗教を生み出したのは、宗教教団ではありません。人間の理性が「どうしたら平和に暮らせるか」と考えた末に、宗教が生まれたのです。その理性を見失い、対立構造の中で、人々が熱狂し、戦争に及ぶ。人間の理性が崩壊し、その極みとして宗教そのものを変容させてしまうのです。宗教教団の「反省・悔悟」は必要ですが、宗教そのものに戦争を止めることはできません。

 宗教にあるのは、あくまでも「抑制機能」です。戦争になる前に、個々人がいかにブレーキをかけられるか。仏教には「利他の精神」があります。これは、自己利益よりも他者利益を尊重する考えです。突き詰めれば、仏教の教えは戦争回避のための「ブレーキ機能」なのです。

 それでも運転者がハンドルをもった途端に人格が変わって暴走をはじめ、譲り合いをせずにアクセルを踏み続ければ、いずれ事故を起こしてしまうでしょう。宗教はあくまでも、社会の抑制機能。社会が熱くなってしまえば、ブレーキを踏むことさえ、忘れてしまいます。

鵜飼氏の新著『仏教の大東亜戦争』では戦争協力というタブーに切り込んだ

――著書では反戦の僧侶がいたことにも触れています。最近になって宗門が名誉回復を決めたものの、鵜飼さんは十分な反省を伴っているか疑問を呈していますね。

鵜飼氏:確かに、ごく少数ですが反戦僧侶はいました。しかし、多くは「アカ」のレッテルを貼られて、抹殺されました。宗門からも追放を受け、近年になってようやくその一部の方の名誉回復が実現しています。