週刊NY生活 2014年7月5日496号
ニューヨークのレストランビジネスで、全米規模でチェーン展開して成功した日本人の草分けとして伝説にその名を残す故ロッキー青木氏(2008年没)。
青木恵子さんは、2001年にロッキー氏と知り合い電撃結婚。ロッキー氏の死後は、管財人として経営権を引き継ぎ、現在は、ベニハナ・オブ・トウキョウのCEO(最高経営責任者)として北米と南米を除くすべての国の権利を持つ。ハワイ、ロンドン、インド、オーストラリア、マカオなど25店舗を経営する。
同社は、1963年にロッキー氏が設立し、64年にマンハッタンの56丁目にヒバチ・ステーキスタイルの鉄板焼店を出したのが第一号店。86年にナスダックに上場して公開され、ロッキー氏は創業者に退いた。
未亡人の青木さんは、東京都出身で、建設省の国家公務員の家庭に生まれた。ジーンズのベルボトムの裾を引きずったままでは家に上げてもらえない厳しい父親だったが、「週末はデパートの屋上の遊園地に連れていってくれたりするごく平凡な家庭で普通に育った」という。
都立深川高校時代はバスケットボール部員。山脇学園短期大学時代にミス東京に選ばれた。少女時代は、いつも夢を抱いている「夢見る夢子さんだった」と笑う。
短大卒業後に3年間ハワイ大学に留学。帰国後、ニューヨーク在住の日本人ビジネスマンと結婚してグリーンカード(米永住権)を取得して来米するも1年半で破局。