仏教界で戦争を扱う僧侶は「変人扱い」

 私は北川さんに、「僧侶の立場で、戦闘員になるためらいはなかったのですか。僧侶として不殺生戒の矛盾を感じることはなかったのですか」と問いました。

 北川さんは、「そんな疑問は一切、感じませんでした。周囲のお坊さんを見回しても、戦争に反対している人は見たことがなかった。幼少の頃から、『戦争への非協力はすなわち非国民である』として教えられてきました。だから、今考えると、戦時中は宗教家としての観念や、生死を説くということなどは何もなかった。戦争中の宗教は、何の役にも立ちませんでした。戦後、多くの仏教教団が戦争の反省や総括する余裕がなかったことは残念です」と、正直に答えてくださいました。

 仮に私が戦時下に生まれていたならば、同じように従軍僧になっていたと思います。

従軍僧が戦死者に対し読経する様子。1932年の上海事変(『東本願寺上海開教六十年史』より)

――これまで仏教と戦争を正面から扱った著作は日本にあったのでしょうか。仏教は日本の戦争をどう語り継いでいくべきだと思いますか。

鵜飼氏:あるにはありますが、学術書と自費出版がほとんどです。一般書で、明治以降の仏教の戦争協力を俯瞰的に描いたものは本書だけだと思います。

 確かに、戦争が「遠い昔」になっている今だから、出せた側面はあると思います。逆にいえば、仏教界にとっては「タブー中のタブー」だから、これまで積極的に扱われてこなかったテーマだともいえるでしょう。

 戦後、仏教の戦争犯罪に責任を感じた僧侶が、自身の体験や証言を集め自費出版をしたケースがありますが、仏教界で戦争を扱う僧侶は「変人扱い」されてきたのが実情です。

 大手教団は、研究施設を持っており、「被差別部落の問題」は熱心に勉強会をひらいて啓蒙に努めていますが「戦争」がテーマになると途端に消極的になります。その態度は、今現在でも変わっていません。