(山本一郎:情報法制研究所 事務局次長・上席研究員)
7月8日午前11時20分ごろ、奈良県で元総理大臣の安倍晋三さんが背後から銃撃され、心肺停止状態となるというテロ事件が発生しました。撃った男は、その場で殺人未遂容疑で逮捕されました。背後関係はこれから明らかになっていくことでしょう。
かつては「二・二六事件」があり、海外では第一次世界大戦のきっかけとなったオーストリア皇太子暗殺事件、第二次世界大戦後にはケネディ暗殺事件など、歴史的転換期を象徴するような要人暗殺事件がありました。安倍さんにはどうか一命をとりとめていただき、また元気な姿で公衆の前に姿を現してほしいと願わずにはいられません。
他方で、安倍さんが狙われる理由については、心当たりしかないのもまた事実です。政治家とは、そういう仕事です。
日本でも歴史に残る歴代最長宰相(最も総理大臣の在籍期間が長かった人物)でもあり、また、アベノミクスに代表される、非常に特徴的な経済政策で日本政治をリードしてきた張本人でしたから、いろいろな考えを持つ国民の上に立って長くやる限り、あらぬ逆恨みや怒りを買うこともあるでしょう。違う立場の人からも常に人格批判され、攻撃されることもまたあったかと思います。
ただ、私たちが住む日本は民主主義であり、国民は他人の権利を害さない限り、自分の意見を表明する権利を生まれながらにして持っています。時事問題などを巡り、時として激しい議論も起きますが、政治に参加する国民として当事者意識を持ち、共通の日本という社会をより良くしたいと考えるからこそ表明し、論じるのであって、それは日本が定めたルールに則って主張することが大前提となります。
安倍晋三さんのような有力者に限らず、国民に対する生命に関わる物理的なテロというのは民主主義を壊す仕組みそのものであって、これは断じて許すことができません。さらに、それによって国民が動揺したり、社会が不安定になったりするならば、それは同じ効果を狙った模倣犯を生み出すことになります。
社会が衰退しているから苦しいのだ、襲撃した人物の立場や考え方も分かる、というような論調は厳に戒めるべきであって、テロや暴力によって社会を変えることの肯定へとつながらないよう、国民各々が考えて行動するべきであろうと思います。