また、銃を手にしたウクライナの女性兵士の精悍な姿が週刊誌のグラビアを飾ってもいる。

 他方で、思うように進軍できていないのがロシアである。

 至短期間(多分数日)での攻略が可能と見ていた節がある。しかしウクライナ軍の予想以上の抗戦でロ軍兵士の士気が萎え、また燃料などの不足(いわゆるガス欠)も原因しているとみられる。

日本の特性と問題点

 大東亜戦争の敗戦の一因(しかも最大の要因)は「情報」「兵站」「技術」の軽視にあったことが指摘されてきた。その教訓に立ち、技術を重視して防衛大学校が理工系として発足したことは周知である。

 同様に、米軍指導の下に武器職種などの兵站職種ができ、その教育と運用研究に資するべき兵站関係の職種学校がつくられた。

 武器・弾薬を扱う武器科という職種(職域)は旧軍には存在していなかった。普段は補給廠(今日の補給処)で働く工員らが必要に応じて戦線に向かい、現地修理班として働いていた。

 後に自衛隊武器学校副校長となり、陸幕武器課長も務めた種田弘治氏は、ノモンハン事変当時は小倉造兵廠の廠員として働いていた。

 事変では戦闘機の主要武器であった固定機関銃に二重装填という故障が続発、故障修理のために改良した送弾子部品を携行、工員ら約50人を引率して戦線に向かったと述懐している(武器職種OB機関紙「王土会」第1号(平成4年1月1日))。

 戦争で称揚されるのは第一線で戦う将兵であり、その勇戦ぶりが武勲として記録されてきた。

 勇戦を支えている兵器や弾薬、それらが機能するように武器を整備し、また不足しないように補給する業務、すなわち兵站、旧軍でいう輜重(しちょう)は「輜重・輸卒が兵隊ならば、電信柱に花が咲く」などと揶揄され、全く無視されてきたのである。

 サプライ・チェーンが重視される今日からは想像もできない状況であるが、大東亜戦争でも「偶(たま)に撃つ弾がないのが玉に瑕」と言われたように、戦闘の帰趨を決める弾丸さえ不足する状況であった。

 そんなはずはないだろうと思う人士も多いに違いない。

 敗戦時、350万人の軍隊が健在であったという。この兵員数にマッカーサーが恐れをなしたのも無理はないが、実際は撃つ弾もなければ、海外に散在した兵員を輸送し集結させる船舶もなかったのである。

 また、陸自には情報を教える調査学校は存在したが、「情報」職種ができる2005年まで情報を専門とする隊員は存在しなかった。