従って、他の職種隊員が臨時的に情報領域で勤務するというだけで、職種としてのバックボーンがないため、人事的にも弱い存在でしかなかった。

 陸上自衛隊が、近代兵器を駆使して戦う組織に衣替えしつつあるのは平成の半ば頃からである。

 陸上自衛隊には海上・航空自衛隊と基本的に戦う場が違うという認識が強かった。

 海象・気象による変化はあるにしても、海・空は基本的に障害物のない真っ平らな空間であり、山川草木などによる地形の変化や市街などの戦闘上の障碍に比べれば平坦と言っても過言ではない。

 こうしたことから、海・空自では創隊当初から日本を一体的にとらえて活動する自衛艦隊や航空総隊があったが、陸自は全土を5分割し、2018年にようやく陸上総隊を編制したのである。

 ここにも欧州と異なる日本独特の地形が部隊の編制に影響を与えていたわけである。

過去と将来の両立が求められる

 米国には「Ordnance Center & School」と称される学校がある。武器を兵站の中心と見て、教える学校であり、日本の武器学校とは異なる。

 筆者がここに留学したのは1976年であり、報告書などでは兵站機能の指揮や集約などを挙げていた。

 しかし、陸自に兵站センター(センター長は武器学校長が兼務)ができたのは2019年である。

 各方面隊に弾薬大隊や弾薬中隊が新編されたのも最近で、弾薬さえ専門に扱う部隊がなかったというわけである。

 大東亜戦争の教訓の上に立って創立された自衛隊でありながら、欠陥が指摘された情報、兵站などは軽視されたままであったというに尽きる。

 陸自の中心は戦闘職種の普通科(歩兵)・特科(砲兵)、機甲科(戦車)(以下普特機と略称)で、人事部署に配属されているのも普特機隊員が主で、今日まで情報や兵站への考慮が行き渡らなかったのも当然と言えば当然である。

 戦闘下においては迅速な補給・整備のために、戦線に近いところに前進補給点などを臨時に編成する。

 ところが子細に検討すると、本来の補給基地から前方に設けた補給点に補給品を運ぶ車の操縦手がいない欠陥が露呈する。ここからは、自衛隊車両の操縦者をいかに養成するかという問題が浮かび上がる。