あかちゃん学では「指差し行動」に、少なくとも3つほどの意味があると考えます(このあたりは様々な考え方があり、小児科のお医者さんなどご異見おありでしたら、ぜひ編集部までお知らせいただけば、参考にさせていただきます)。

 第1は、自分の興味、関心のあるものを指差す行為、端的に言えば「これが欲しい」「これが食べたい」という意思表示で、自分の欲望が示されます。

 指を差さねばならぬのは、欲しいと思っても自分自身でさっさと取りに行くだけの脚力も能力もまだ未発達、非力でか弱い存在であるために、まず指差しから始まる。中国語で「食指」というのは、ここに生理的、発達的な起源があるものと考えて大きく外れないでしょう。

 これは発達すれば自然に後退していくものです。大人なら、いや、すでに機敏に活動する少年少女であれば、指差しの必要がありません。

 第2の指差しは、興味や関心のあるものを指さして、お母さんに「これとって」「あれ頂戴」とリクエストする要求、あるいはテレビ画面に「ピカチュー」など知っているものが登場すると「アレ、アレ」とお母さんに伝える、主として共感のコミュニケーション・ツールとしての指差し行動が見られます。

 ただ単に自分の欲望を発散する、夜泣きの延長みたいな指差しよりも、高度に発達した知能が必要になるわけです。

 これも、普通に成長して別途のコミュニケーション能力を獲得すれば、わざわざ指差す必要はなくなり、使用頻度が減っていく性質のものです。

 さらに第3の指差しとして、いまだ言語能力が十分でないとき、自分の思考や意思、あるいはクレームを伝達するなど、理解・応答のコミュニケーションに指差しが使われます。

 「マーちゃんはミルクが欲しいの? それともリンゴ?」

 「⇒」

 幼児は多くの場合、簡単にご機嫌斜めになり、泣いたり怒ったりするわけですが、

 「おもちゃ取られちゃったの?」

 「」(頷く)

 「誰が取ったの? お兄ちゃん? それともポチが取っちゃった?」

 「⇒」