「指差し」が内面のイライラを図らずも示してしまうボディ・ランゲージである事実を、乳児の発達生理を参照しながら前回記したところ、ご反響をいただきました。
そこで、より意識的に、でもやや反射的になされる、もう1つの「イライラ」の発露にも触れておきたいと思います。「野次」です。
まず「野次」という言葉の語源から確認しておきましょう。
意外にも「オヤジ」が語源だった「野次」
「野次を飛ばす」などという表現が定着し、「野次は国会の華」などという恥ずかしい流言もありますが、野次の語源は「野次馬」にあり、さらにその元は「オヤジ馬」であると言われています。
オヤジ馬、すなわち年寄りになって農耕の労役に供しなくなった馬は、役立たずで脇につないでおくしかなく、早晩つぶされて桜鍋などにされてしまう悲しい運命なのかもしれません。
また同様に、落ち着かず人の言うことを聞かず、鍬も弾けない荒れ馬も、同様に脇に繋いでおくしかないので、これらを併せて「オヤジ馬」→野に次いでおくしか能のない馬→「野次馬」と転じた経緯であったようです。
何分、こういう「語源」は各種の説がありますので、あくまでご参考まで。ただ「野次馬」という言葉の意味は確定していて
「何も役に立たないところで勝手に騒ぐ人間」を「ああいう野次馬は相手にしない方がいい」などと称するようになったものです。
で、そういう連中が発する「野次馬の上げる冷やかし」そのものを称して「野次」と呼ぶようになった。
つまり「野次」の本質は「役に立たない人間が、あさっての方向で勝手に騒ぐ、無意味な放言」という原点を確認しておきましょう。