北政所として

 天正11年(1583)、秀吉は堀井新太が演じる池田恒興(つねおき)から収公した摂津大坂城を新しい本拠と決め、本格的な普請を開始する。

 翌天正12年(1584)8月8日、秀吉は完成した大坂城に正式に入った(藤井讓治『ミネルヴァ日本評伝選 豊臣秀吉——秀吉新王ニナリ秀長ハ関白ニ成ル——』)。

 天正13年(1585)7月11日、秀吉が関白に任じられると、寧々は「北政所」と呼ばれるようになる(ここでは寧々で統一)。

 北政所とは、摂政・関白の妻に与えられる称号である。

 秀吉は同年9月9日に豊臣姓を賜り、天正18年(1590)には天下一統を達成した。

 寧々は北政所として、朝廷や公家、寺社勢力との外交、諸大名やその妻子たちとの交流、豊臣家の子の育成や、財産管理など、多岐にわたり重要な役割を果たした。

 また、秀吉は征服した地域の大名から妻子や重臣などの人質を取っていたが、人質への日常的な気遣いや物のやりとりも、寧々が担っていたという。

 寧々は人質を手厚く保護し、彼らとの関係を構築した。

 慶長3年(1598)8月18日に秀吉がこの世を去ってからも、徳川家康ら諸大名は、寧々と親しく交際を続けた。

 その背景には、人質時代に育まれた信頼関係があったという(以上、呉座勇一『真説 豊臣兄弟とその一族』)。