豊臣秀吉像
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(鷹橋忍:ライター)

今回は、大河ドラマ『豊臣兄弟!』において、池松壮亮が演じる藤吉郎(豊臣秀吉/ここでは秀吉で統一)の前半生をご紹介したい。

謎に満ちた出自

 秀吉は天文6年(1537)に、尾張国愛知郡中村(愛知県名古屋市中村区)で生まれたとされる(天文5年生まれ説あり)。

 天文9年(1540)生まれとされる弟・秀長より3歳年上、天文3年(1534)生まれの織田信長より3歳年下となる。

 秀吉の出自は謎に包まれており、大変に低い階層の出身とされるが、具体的にどの階層なのかは、定かでない。

 父親が誰で、どんな身分だったのかも、はっきりとはわからないという(日本史史料研究会監修 河内将芳編『秀吉と豊臣一族研究の最前線』所収 竹内洪介「〈第一章〉【秀吉像の変換】秀吉の出自はどういわれてきたのか」)。

 秀吉が信長とどのように出会い、仕官するようになったのかも不明であるが、儒学者・小瀬甫庵が編集した「太閤記」(『新訂増補 史籍集覧 第23冊』所収)によれば、秀吉は永禄元年(1558)9月、清須城(愛知県清須市)の信長に仕えることになったとされる。

美濃斎藤氏と戦い

 信長に仕官した秀吉は、永禄3年(1560)5月の桶狭間合戦に、足軽として参戦したといわれているが、史料による裏付けはない。

 翌永禄4年(1561)、DAIGOが演じる美濃国の斎藤義龍(よしたつ)が病死し、彼の子・濱田龍臣が演じる斎藤龍興(たつおき)が家督を継承すると、混乱の隙を突き、信長は美濃国を攻撃した。

 永禄8年(1565)5月には、永禄の変(室町幕府将軍・足利義輝が京都の御所で殺害された事件)が勃発。

 僧侶となっていた足利義輝の弟・尾上右近が演じる足利義昭(当時は覚慶。ここでは義昭で統一)が、室町幕府再興を唱え、各地の大名や国衆に上洛への協力を呼びかけると、信長はこの呼びかけに応じる姿勢をみせた(柴裕之『織田信長 戦国時代の「正義」を貫く(中世から近世へ)』)。

 その後、上洛に備えての足利義昭の命に応じた停戦や、河野島の戦いで敗退などを経て、永禄10年(1567)8月、信長は龍興を下し、美濃稲葉山城(岐阜市)を攻略。地名を「岐阜」と改めている。

 この美濃の斎藤氏との戦いにおいて、秀吉が具体的にどのような活躍をしたのかはわかっていない。

 だが、この頃、秀吉は尾張国と美濃国の国境付近の支配を任されていたため、重要な役割担っていた可能性があり、また、これ以降、秀吉の発給文書が多くなり、内容の重要度も増していくことから、この戦いにより、信長の信頼を得る働きをみせたと考えられている(以上、羽柴亜弥「羽柴秀吉――バランス感覚に長けた信長家臣団の要」柴裕之編『戦国武将列伝 別巻1 織田編』所収)。