1974年4月24日、映画『竜馬暗殺』の製作発表にて、原田芳雄(右)と黒木和雄監督 写真/共同通信社
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(田村 惠:脚本家)

洋画、邦画を問わず今日まで7000本以上、現在でも年間100〜150本の映画を観ているという、映画を知り尽くしている田村惠氏。誰もが知っている名作映画について、ベテラン脚本家ならではの深読みを紹介する連載です。

黒木和雄監督の映画人生と『竜馬暗殺』

 ぼくが横浜の映画学校に在籍していた頃、週に1度、映画評論家の淀川長治さんが、自分で選んだ作品を上映し、それについて講義するという外国映画の授業があった。そこで何が語られたかはもはや忘却の彼方であるが、ただひとつ、入学式で述べられた祝辞だけは今もぼくの頭に刻み込まれている。壇上に立った淀川さんは開口一番、新入生と父兄たちに向かってこう言われた。

「皆さん、御愁傷さまでした。映画の仕事はお金が儲かりません。ご飯が食べられません。皆さんは大変な道を選ばれました」。もちろん、これは淀川さんなりの激励の言葉である。「ですけども、皆さんは好きなことを仕事にするんだから、それで儲けようと思ったら間違いです。貧乏しても映画にしがみついて頑張らなかったら嘘です。お金を儲けたい人は、今すぐここをやめて別の道に進んで下さい」

 黒木和雄という監督は、淀川さんの言葉通りの映画人生を歩んだ人ではないかと思う。そのキャリアの最初は企業のPR映画などのドキュメンタリーで、1966年に『とべない沈黙』で劇映画に転じて以後、2006年に没するまでの40年間に14本の作品しか撮っていない。しかも、その多くは独立プロによる低予算の作品で、上映館にも上映期間にも限りがあるため高い評価を得ても収益に繋がらない。

 そのため、映画を撮りたくても資金が無く、撮れば撮っただけ負債が増えるという悪戦苦闘の繰り返しとなる。監督に必要なセンス、力量、カリスマ性をすべて持っていた人だけに、14本の作品数はあまりにも少ない。キャリアのスタート地点が違っていればと、その不遇が残念でならないのである。

『竜馬暗殺』(1974年)は、黒木監督の才能が遺憾なく発揮された作品である。慶応3年11月15日に坂本竜馬が暗殺されるまでの最後の3日間を、この映画は、自由な発想と独創的な語り口で描いている。

 ファースト・シーンは或る屋敷の裏口である。降りしきる雨の中、木戸を開けた娘・妙(桃井かおり)が辺りを窺い、笠に顔を隠した男を送り出す。男は着物の裾を端折っていて、褌を締めた尻と逞しい脚をむき出しにしている。そして、そんな無造作な恰好で、妙から刀を受け取ると走り出すのであるが、足元にカメラが寄ると男は革靴を履いている。そのクローズ・アップに続いて、次の如きタイトル(字幕)が出る――「竜馬の引越し……ナリ」

 こうした変テコなタッチでドラマは展開していく。