『ベニスに死す』(1971)写真/Everett Collection/アフロ
(田村 惠:脚本家)
洋画、邦画を問わず今日まで7000本以上、現在でも年間100〜150本の映画を観ているという、映画を知り尽くしている田村惠氏。誰もが知っている名作映画について、ベテラン脚本家ならではの深読みを紹介する連載です。
究極の美は主人公を虜にする
映画史上最も美しい少年は誰かと問われれば、映画ファンの多くはビョルン・アンドレセンの名を挙げるであろう。彼の出演作といえばほぼ『ベニスに死す』1本のみである。しかも、それが公開されてから既に半世紀を経ている。にもかかわらず、先日の彼の訃報に際して、ロバート・レッドフォードやダイアン・キートンに優るとも劣らぬ数の追悼の投稿がSNS上に溢れたのは驚くべきことである。
『ベニスに死す』(1971年)は、人生の黄昏を迎えた芸術家が、ひとりの少年に究極の美を見出して虜となっていくさまを克明に描いている。そして、その神々しいまでに美しい少年を演じたのが、当時15歳で巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督に見出されたビョルン・アンドレセンである。
原作はトーマス・マンの同名の小説で、主人公の芸術家は、マンが親交のあった作曲家グスタフ・マーラーを自分自身に重ね合せて創作した人物とされている。この芸術家・アシェンバッハは、小説では「作家」になっているが、ヴィスコンティは作品のテーマを極立たせるためそれを「作曲家」に変え、マーラーその人を思わせる人物像に設定している。そして、印象派の絵画を彷彿とさせる映像に、マーラーの交響曲第5番アダージェットの旋律を重ねることで、最大限の劇的な効果をあげている。
初老の作曲家アシェンバッハ(ダーク・ボガード)は、病気療養のためベニスを訪れる。海辺のホテルに投宿した彼は、宿泊客の中に良家の子息らしい高貴な風貌の少年がいるのに目をとめる。そして、その少年タッジオ(ビョルン・アンドレセン)に魅了されたアシェンバッハは、浜辺にいる時も食堂にいる時も、秘かにタッジオの姿を捜し求め、彼を眺めて目を楽しませるようになる。
ところが、ある日、大勢の少年たちとエレベーターに乗り合わせ、その中にいるタッジオを間近に見た時、アシェンバッハは場違いな年齢の隔たりを感じてひどく動揺する。彼は、己れを取り戻すためにベニスを去る決心をする。
しかし、列車の出発間際になって、彼の荷物が誤って目的地とは別の場所へ送られたことが判明する。彼は激怒するが、内心では出発を延期してタッジオの側へ戻る口実が出来たのを喜ぶ。それを契機として、アシェンバッハの執心は歯止めが効かなくなる。彼は自分の容貌がタッジオに嫌われることを恐れ、理髪師に勧められるままにまっ黒に髪を染め、顔に白粉を塗る。そして、死人のような蒼白い顔で、姉妹たちと共に教会へ通うタッジオのあとをつけ回す。
その頃、ベニスの街に伝染病が拡がりつつあるという噂が囁かれ始める。アシェンバッハはそれがコレラであることを突きとめるが、もはや彼はコレラよりも、それを知ったタッジオの一家がベニスを発ってしまうことの方を怖れるまでに少年の美しさの虜になっているのであった。