『人間の條件 第五部 死の脱出篇/第六部 曠野の彷徨篇』
(田村 惠:脚本家)
洋画、邦画を問わず今日まで7000本以上、現在でも年間100〜150本の映画を観ているという、映画を知り尽くしている田村惠氏。誰もが知っている名作映画について、ベテラン脚本家ならではの深読みを紹介する連載です。
五味川純平の大ベストセラー小説の映画化
ぼくは、横浜の映画学校に通っていた頃、仲代達矢を2度見かけたことがある。最初は王子の映画館へオールナイトの4本立てを観に行った時だ。4本のうちの1本が小林正樹監督の『切腹』で、主演の仲代さん本人が観に来ていたのだ。黒澤明監督の『影武者』が公開されて間のない頃のことで、信長を演じて一躍脚光を浴び無名塾の名を世に知らしめた隆大介と、同じく映画・テレビで活躍していた神崎愛が同伴していた。
2度目は同じ年の年末、池袋の映画館で、こちらも小林監督・仲代達矢主演の『人間の條件』全6部をオールナイトで一挙上映した時だ。映画が終って早朝の街へ歩み出したところで、すぐ前を仲代さんが歩いているのに気付いた。この時は連れもなく、仲代さんはひとりで観に来ていたようであった。
この2度の遭遇はたぶん偶然ではない。仲代さんは数々の出演作の中で、『切腹』と『人間の條件』に格別の愛着を抱いていたと聞く。この2作がどこかで上映される度に、スケジュールが許せば足を運んでいたのではないかと思う。
『人間の條件』は、仲代達矢が初めて主役を演じた映画である。原作は150万部も売れたという五味川純平の大ベストセラー小説で、全6部の上映時間は合計9時間半に及ぶ超大作だ。当然のことながら、当初は木村功や佐田啓二といったスターが主役の候補に挙げられた。しかし、1本前の『黒い河』という作品で、仲代達矢という殆ど無名の舞台俳優を大きな役に初めて起用した小林監督が、その知的で逞しい存在感と力量を見込んで大抜擢したのである。
映画のテーマは、梶という知性も体力も人並み優れた人物が、戦争が生み出した数々の暴悪に直面し、いかに屈することなく人間であり続けるかというところにある。そのため、全編にわたって悪虐非道な人物が壁となって梶のヒューマニズムの前に立ちはだかるのであるが、その悪役たちの多彩さは実に壮観である。