主人公のヒューマニズムがついに限界に
1・2部では、鉄鋼会社から労務管理のため満州の鉱山に赴任した梶は、中国人の工人(徴用工)の待遇改善を求めて、彼らを酷使する現場監督たちと対立する。この粗野で独善的な現場監督に扮した小沢栄太郎はまさにはまり役であるが、更に圧倒的な存在感を発揮しているのは、冷酷な憲兵を演じた安部徹である。増産という軍の方針を貫徹するためには一切の妥協を許さず、梶を威圧して薄氷を踏むような緊迫感をドラマにもたらしている。
3部では、梶は徴兵され、同班の初年兵らと共に、古兵たちによる教育に名を借りた激しい私的制裁にさらされる。ここでは、成績優秀で古兵たちに迎合しない梶を増悪して、事あるごとに殴打する上等兵を演じた南道郎の憎たらしさが極立っている。
4部になると、梶は上等兵に昇進して、今度は初年兵を教育する立場になるが、彼らを古兵たちの制裁から守ろうとして、自らが暴力の矢面に立たされることになる。班内で梶に暴力をふるっていた最古参の兵長は、最前線ではまったく役に立たず、ソ連軍の戦車に蹂躙され、タコ壷に隠れて敵兵をやり過ごそうとするうちに恐怖に耐え切れず発狂する。この兵長に扮した千秋実は、その独特の持ち味で、悪役を演じながらも、軍隊が彼の人格を歪める前はどこにでも居る気のいい人間だったことまできちんと表現している。
5・6部では、敗戦によって追われる立場になった梶たち敗残兵は、置き去りにされた民間人を連れて敵中をさ迷う。そんななか、彼らに合流した伍長は、弟を連れた18歳の避難民の娘を親元まで送り届けると申し出て途中で強姦し、それを知って激怒した梶に銃を奪い取られ追放される。しかし、梶たちはソ連軍に投降したあと、強制収容所で、この伍長と再び顔を合せることになる。
ソ連兵に取り入って捕虜管理の役にありついている伍長は、遺恨を晴らすべく、梶の可愛がっている若い兵隊をいじめ殺す。この全6部中で最も卑劣な男を演じたのは金子信雄である。その演技は絵に描いたような極悪ぶりであるが、ここでは梶と観客を腹の底から憤激させるために、徹底して悪人を演じなければならないのである。何故なら、この伍長との確執によって、ここまで耐えてきた梶のヒューマニズムは遂に限界に達するからだ。梶は、彼を殺して収容所から極寒の荒野へさ迷い出る。そして、この壮大な映画は結末へと向かう。
劇中、梶が直面した試練は、どれも他人に振りかかったことである。見て見ぬ振りをすれば、彼自身には直接害のないことばかりだ。しかし、黙って見過ごせば彼も加担したと見なされ、いずれは同類になることを強いられるだろう。犯罪者が周囲の者をすべて共犯者にしようとするように、戦争もまた体制に迎合しない者をひとりも許さないのである。単に人が殺されるというだけでなく、人間が尊厳を持つことすら許されぬという、そのことにこそ戦争の恐ろしさがあると、この映画は物語っている。