中国の沖縄に関する認知戦とその対抗策

 本項は、プレジデントオンラインにスティーブン・R・ナギ氏が寄稿した「中国はついに沖縄へも触手を・・・一発の銃弾も撃たず日本からの"利確"狙う習近平の鼻をあかす4つの手段」(2025年12月5日)を参考にしている。

 ナギ氏は、ICU教養学部・政治国際関係学科の教授であり、インド太平洋地域の地政学および大国間競争を専門としている。

(1)認知戦とは

 ミサイル実験や軍事演習の陰で、中国は日本に対してより巧妙な作戦を開始している。軍事戦略家が「認知戦」と呼ぶ手法である。

 沖縄に対する日本の主権の正当性をじわじわと失わせようとする試みである。中国の沖縄へのアプローチは最も計算された形態の認知戦である。

 この新たな“攻撃”は武力行使の一線を越えることなく、組織的な偽情報、つまり虚偽または誤解を招く情報の意図的な拡散を用いて人々の認識を操作し、確立された事実への信頼を蝕む作用がある。

 従来のプロパガンダとは異なり、認知戦は学術機関、メディア、デジタルプラットフォームを武器化していく。

(2)中国の認知戦における3つの戦略的目的

 では、中国は沖縄に関して具体的に何をしているのか。

 中国が展開する論点は一貫したパターンがある。つまり、琉球王国が1372年から19世紀末まで中国と朝貢関係を保ち、この関係が日本の併合に先立つものであるため、中国はこれらの島々に対する歴史的主張において優位にある、というものである。

 一部の学者はさらに踏み込み、日本の沖縄編入を植民地侵略と位置付け、第2次世界大戦後の処理がこれを適切に解決しなかったと主張する。この論調には次の3つの戦略的目的がある。

●第1に、軍事計画者が「戦略的曖昧性」と呼ぶ状態を生み出す。

 米国が重要な軍事施設を維持する沖縄に対する日本の主権を国際的な観察者が疑問視し始めれば、同盟の義務を複雑化し、危機対応の計算に躊躇をもたらす。

 もし米国が「この島々の地位は曖昧だ」と考え始めれば、台湾有事の際に在日米軍基地の使用を躊躇するかもしれない。

●第2に、北京の中国政府に、将来の攻撃的な行動のための既成の正当化理由を提供する。

●第3に、尖閣諸島をめぐる領土問題において、日本の道義的立場を弱体化させる。

 近隣地域の日本の統治が疑わしい基盤に立っていると示唆することで、その正当性を揺るがすことができる。

 この戦略の巧妙さは、その長期的な性質にある。

 中国は即時の領土変更を要求しているわけではない。代わりに、知的・外交的環境を再構築するための10年にわたる取り組みに投資している。

 今日確立された認識が明日の選択肢を制約することを理解しているからである。

 いわば、中国は「歴史の書き換え」という種を蒔き、いつか収穫する日を待っているのである。

(3)中国の認知戦に対する日本の3つの対策

 では、日本は中国の認知戦に対してどうすればよいのか。日本には、民主主義による反撃の3つの対策がある。

●第1の対策:「クアッド・デジタルレジリエンス構想」

「クアッド・デジタルレジリエンス構想」とは、クアッド(日本と米国、オーストラリア、インド)の4か国が連携してサイバー空間の脅威に対応し、デジタル技術やインフラの安全性と回復力を高めるための協力枠組みを指す。

 中国の認知戦に対抗するには、二国間対応を超え、民主主義の強みを活用しつつエスカレーションを招く言辞を避けながら、協調的なミニラテラル(注4)行動へと移行する必要がある。

 具体的には、国家関連ナラティブ(物語や言説)の共有データベース、組織的な不正行為を検知するAI搭載早期警戒システム、多言語対応の共同ファクトチェックリソースなどである。

 クアッド主導のイニシアチブはインド太平洋地域特有の偽情報に対処すると同時に、東南アジアのパートナー諸国における能力構築を推進する。

 カギとなるのは作戦速度である。

 偽情報は、官僚機構が対応を調整する数週間あるいは数か月の間、反論されずに放置された時に最も効果を発揮する。偽情報との戦いは、スピードが命なのである。

(注4)ミニラテラルとは、3〜6カ国程度の小規模な国々が、特定の戦略的関心や利益を共有して連携する外交・安全保障の枠組みを指す。2国間を意味する「バイラテラル」と多国間を意味する「マルチラテラル」の間に位置づけられるが、国の数など明確な定義は確立していない。

●第2の対策:「経済安全保障と情報完全性(Integrity)に関する日本とEUの枠組み」

 日本と欧州は中国と深い経済的相互依存関係にあるため、単独では持続不可能な一方的な措置よりも、協調行動の方が信頼性が高い。

 1国だけでは中国の圧力に耐えられなくても、連携すれば話は別である。

 2021年にリトアニアが台湾との関係強化後に中国の経済的圧力に直面した際、欧州と大西洋横断の対応は分断され遅れた。

 事前合意された対応メカニズム(緊急市場アクセス、サプライチェーン冗長化プログラム、協調的外交声明を含む)を備えた常設枠組みは、中国の主張に抵抗する国々を経済的に孤立させようとする中国政府の動きを抑止することができる。

●第3の対策:「太平洋諸島研究・奨学金協定」

 日本はオーストラリア、ニュージーランド、および参加を希望する太平洋島嶼国を巻き込んだ協定を発足させる。

 この協定は参加国全体の大学・研究機関に対し、透明性のあるピアレビューと完全な学問的自由を伴う競争的助成金を提供する。

 太平洋諸島研究者自身が主導・管理する厳密な証拠に基づく学術研究へ投資することで、民主主義諸国は真の学術探究と武器化された疑似学術との差異を示せる。

 これにより中国政府が「純粋な西洋的視点」として退けられない代替的な権威ある声を生み出し、長期的なレジリエンスを構築するのである。

 上記の3つのアプローチには共通点がある。

 すなわち、一方的ではなく多国間的なため持続可能性が高く、北京が二国間圧力で対抗しにくい点、透明性・学問の自由・連合構築といった民主主義の比較優位性を活用する点、そして個々の政権を超えて持続する制度的枠組みを構築する点である。

 最も重要なのは、民主主義の信頼性を損なう独裁的戦術を模倣する罠を避けつつ、認知戦争にコストを課す点である。

 必要なのは、検閲や中国の戦術への追随ではない。

 透明性の確保、文書証拠に基づく持続的な対抗ナラティブ、そして認知戦争が協調的対応を要する真の安全保障上の脅威であるという民主主義諸国間の共通認識なのだ。

(4)筆者コメント

 国際社会では国益の対立を背景として認知戦が目に見える形、あるいは目に見えない形で熾烈に繰り返されている。

 特に、中国の認知戦は偽情報(フェイクニュース)の大量拡散、SNSを利用した世論操作、国外の工作員を使った影響工作などを通じて、相手国の社会分断を煽り、民主主義への不信感を植え付け、中国に有利なナラティブを形成し、現実の情勢を中国にとって望ましい方向に導くことを主な目的としている。

 ところで、中国を含め諸外国では、認知戦やプロパガンダ(宣伝工作)は、いわゆる諜報機関によって実行されている。

 ところが日本には諜報活動を実施する根拠法律が制定されておらずかつ専門機関が設置されていないことからこのような活動は行われていない。

「兵は詭道なり」という言葉があるが、日本では自衛隊をはじめ政府機関は偽情報を発信することが容認されていない。

 そればかりか、相手国の認知戦やプロパガンダに対して国民に警鐘を鳴らす政府機関が存在していない。政府は、早急にこのような専門機関を設置し、専門要員を育成する必要がある。