衆院の代表質問に答える高市早苗首相(11月5日、写真:つのだよしお/アフロ)
2025年10月24日、木原稔官房長官は記者会見で、国内外のインテリジェンス(情報収集、分析)活動の司令塔となる「国家情報局」の創設に向けた検討を始めたことを明らかにした。
木原氏は「国益を守り、国民の安全を確保するためには、インテリジェンスに関する国家機能の強化が急務だ」と強調した。
同局は内閣情報調査室を格上げして設置する方向で、各省庁の情報部門が集めた情報の集約や分析を一元的に行う。
(出典:読売新聞「国家情報局」創設へ検討開始、木原官房長官「インテリジェンスに関する国家機能の強化が急務」2025年10月24日」)
さて、今回の「国家情報局」の創設については、2つの問題点がある。
1つ目の問題は、国家情報局はインテリジェンス活動の司令塔になるというが、日本ではインテリジェンスの定義がなされていない。
軍事評論家の江畑謙介氏(故人)は、その著書『情報と国家』の中で、次のように述べている。
「誰でも情報は大切だというのだが、多くの場合『インフォメーション』と『インテリジェンス』とを混同している」
「これは、これらの英語に対する適訳を見出せていない日本語の貧弱さに理由の一端があると同時に、その日本語を使用している日本人の文化において、情報の大切さが本当に理解されていない証左であろう」
江畑氏の指摘にも一理あるが、筆者は日本人の情報オンチや日本語の貧弱さにあるのではなく、今現在の我々日本人が戦前使用していた的確な日本語を意識的に排除しているか、あるいはそれらを知らないためではないかと思っている。
国運を懸けた日露戦争の前と日露戦争中の我が国の情報活動の成功は目を見張るものがあった。
スポーツという装いをして単騎シベリア横断を敢行し、ロシアの東洋進出の実態を観察した福島安正少佐。
軍人の身分を隠しハルピンで写真店を開業して、シベリアの軍事情勢を本国に送り続けた石光真清大尉。
ロシア共産党に働きかけ農民の暴動や水兵の反乱等を扇動し、ついにロマノフ王朝に戦争継続意欲を放棄させ日露戦争の勝利に側面から貢献した明石元二郎大佐。
彼らの活躍は我々日本人が誇りとすべき偉業である。
ところが、当時使用されていた諜報、謀略、防諜という言葉は今日では日本語から消えてしまった感がある。
これがインテリジェンスやカウンターインテリジェンスの日本語表記を難しくしている要因であると筆者は見ている。
かつて、衆議院議員だった鈴木宗男氏(現参議院議員)が、インテリジェンスの定義について国会質問したことがある。
政府は、「インテリジェンスとは、一般に、知能、理知、英知、知性、理解力、情報、知的に加工・集約された情報等を意味するものと承知している」と回答した(出典:政府答弁書2006年3月28日)。
しかしながら、いまだ日本ではインテリジェンスの定義ができていない。
2つ目の問題点は、内閣情報調査室の格上げも必要であるが、日本のインテリジェンス体制の主要な欠落事項は、専門の防諜機関と専門の国外諜報機関が整備されていないことであると思っている。
美味しい料理を作るには腕のいいシェフと良質な具材が必要である。良質な具材を集めてくるのが防諜機関や国外諜報機関であると考えている。
筆者は、防諜機関と国外諜報機関が整備されており、かつスパイ防止法が制定されていたならば、オウム・サリン事件や北朝鮮の拉致事件が起きていなかったのではないかと思っている。その詳細は後述する。
以下、初めに日本と米国のインテリジェンス体制・態勢について述べ、次にオウム・サリン事件における防諜活動について述べ、最後に北朝鮮の拉致事件における国外諜報活動について述べる。