写真:hanasaki/イメージマート
中国北方の伝統食である餃子は、江戸時代の料理書に記録されながら、長く一般化しなかった。転機となったのは、満洲に暮らした日本人の家庭料理として定着した1920~30年代、そして戦後、引揚者が日本へ持ち帰った経験である。焼き餃子は、保存性の高さと副食としての食べやすさから人気を集め、1950年代には“餃子時代”と呼ばれるブームを生み出した。餃子が異文化から国民食に変貌するまでを辿る。(JBpress編集部)
(岩間一弘、東洋史学者)
※本稿は『中華料理と日本人 帝国主義から懐かしの味への100年史』(岩間一弘著、中央公論新社)より一部抜粋・再編集したものです。
餃子は、醤油で味つけしたひき肉やみじん切りの野菜などの具材を、小麦粉をこねて作った皮で包み、ゆでたり、蒸したり、焼いたり、揚げたりして作る料理である。
それは栄養バランスがよい上に、さまざまな具材を包むことで豊富なバリエーションを作り出せることから、完成度の高い料理である。
餃子はもともと中国北方の食べ物だが、日本に伝わって国民食になっている。近年には、日本式の焼き餃子が欧米でも広まった。
ジンギスカン料理が、日本の帝国主義に関わる料理だとすれば、餃子は、帝国主義のあとの時代に関わる料理である。
日本の餃子に関する歴史研究はあるが、日本人が餃子を満洲から受け入れた過程がはっきりしていない。
日本の傀儡国家であった満洲国(1932~1945年)の興亡、つまり日本の帝国主義とポスト帝国主義は、餃子の普及にどう影響していたのだろうか。
1950年代の日本は、「餃子時代」と称されることがあった。本記事はとくにこの時代の社会状況に注目し、敗戦後に満洲から引き揚げてきた人々のさまざまな声に耳を傾けたい。
多くの引揚者たちは、どのような気持ちで餃子を作り、食べ、語っていたのか。
一方、戦後の日本社会は、引揚者を受け入れながら日本国民を再統合した。そのときに大流行した餃子は、引揚者以外の多くの人々にとってはどのようなものだったのだろうか。

