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9月29日は「きゅうにく」の語呂合わせから「牛肉の日」とされている。日本人は明治時代まで、仏教の「殺生禁断」という思想から約1200年にわたり肉食が禁止されていた。しかし、禁止令の時代にもかかわらず、実際には牛肉は食べられていたともいわれている。「肉食禁止の詔」発令から明治政府による肉食解禁までをたどりながら、日本の牛肉食の歴史を解説する。(JBpress編集部)
(小関尚紀:焼肉作家・お肉博士1級・MBA)
※本稿は『知ればもっと美味しくなる!大人の「牛肉」教養』(小関尚紀著、三笠書房)より一部抜粋・再編集したものです。
天武天皇が「肉食禁止の詔」を発令!
日本に牛肉を食べる文化が伝わった時期には諸説ありますが、4世紀末から5世紀頃(古墳時代)だとする説が有力です。
この頃、朝鮮半島からの渡来人が牛を日本に連れてきた際、牛肉を食べる習慣も持ち込んだと考えられています。
その後、牛は農耕や運搬などのための労働力として、また乳や皮を利用するための家畜として、日本全国で広く飼われるようになりました。
特に飛鳥時代や奈良時代には、牛の利用が広まります。実際、牛乳を固めて作った「蘇(そ)」(現代のチーズのようなもの)や、天皇の靴の材料となる牛の皮が、現在の兵庫県北部にあたる但馬国から朝廷へ納められていた記録も残っています。
このように、牛は庶民にとっても貴族にとっても、身近な存在になっていったのです。
しかし、不思議なことに、この頃から牛肉を「食べる」文化は次第に薄れていきました。一体なぜでしょうか?
その大きな理由は、仏教の影響によるものです。
時は飛鳥時代。538年に朝鮮半島から日本に伝来した仏教には、「殺生禁断」という生き物を殺すことを禁じる教えがありました。
生き物を殺生すると、罰(バチ)が当たると考えられていたのです。
この教えにもとづき、675年に天武天皇が牛や馬、犬や鶏、猿の肉などを食べることを禁止する法令「肉食禁止の詔」を出しました。
これが日本で初めて出された「お肉禁止令」だとされており、その後も時代によってたびたび発令され、日本の食卓から牛肉が遠ざかる大きなきっかけになりました。
天武天皇は、仏教の教えを忠実に守ったのです……。
「肉食禁止の詔」を出した天武天皇(提供:akg-images/アフロ)

