肉食を禁じた「本当の目的」は、仏教の教え…ではなかった?
……というのは、じつは建前。
この肉食禁止令には、なんとも不思議なルールがありました。それは、4月から9月までを適用期間としていたことです。
つまり「春から夏は肉を食べたらダメだけど、秋や冬は食べてもいいよ」という、厳しいのやら緩いのやら、よくわからない取り決めだったのです。
勘のいいあなたなら、ピンときたかもしれません。
4月から9月という期間は、田植えや収穫など、農作業が最も忙しくなる農繁期に当たります。つまり、天武天皇は、この時期の肉食を抑えることで、農作業を順調に進め、農業を中心とした国家体制をしっかりと築き上げようとしたのです。
仏教の「殺生禁断」という思想をうまく利用し、弥生時代から受け継がれてきた日本の農耕の歴史を守ったわけですね。
人にとって役にたつ動物を食べることは、社会における大きな損失だ!
さらに、天武天皇の「肉食禁止令」には、もう一つの思惑があったと考えられています。それは「人間にとって役に立つ動物を食べるのは非効率だ」という実用的な考えです。
当時の牛は田畑を耕す耕運機として、馬は軍用や通信の手段として、犬は番犬や鷹狩りのパートナーとして、それぞれ人々の生活に欠かせない存在でした。
貴重な労働力としての動物を食料として消費することは、当時の社会にとって大きな損失だと、天武天皇は考えたのです。
このように、肉食禁止令の背景には、単なる仏教の教えだけでなく、国家運営における現実的な判断も深く関わっていました。
そして、この肉食禁止令によって、「牛肉を食べること」は日本では長い間タブー視されてきました。
その期間、なんと1200年!
お肉が当たり前のように食卓に並ぶ現代の私たちには、考えられないような歴史ですよね。
明治時代初期の「文明開化」が訪れるまで、庶民にとって肉食の扉は固く閉ざされることになってしまいました。
しかし、禁じられたとはいえ、完全に牛肉が姿を消したわけではありません。
歴史の裏側では、一部の地域や特定の階級の人々の間で、こっそりと肉が食べられていたようです。
まあ、牛肉は美味しいですから、仕方ないですね。