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9月29日は「きゅうにく」の語呂合わせから「牛肉の日」とされている。天武天皇が発令した「肉食禁止の詔」によって、日本人は1200年にわたり牛肉を食べられなかった。しかし、江戸時代には「養生薬」として幕府への献上品とされていたという。桜田門外の変の引き金になったともいわれる「御牛騒動」を牛肉作家の視点から解説する。(JBpress編集部)
(小関尚紀:焼肉作家・お肉博士1級・MBA)
※本稿は『知ればもっと美味しくなる!大人の「牛肉」教養』(小関尚紀著、三笠書房)より一部抜粋・再編集したものです。
さて、時は江戸時代末期。依然として、肉食はタブー視され続けていました。
そんな中、歴史を動かす大きな事件が起こります。
1860年、大老の井伊直弼が江戸城の桜田門外で、水戸藩出身の浪士たちに暗殺される事件が発生しました。
いわゆる「桜田門外の変」です。中学校や高校の歴史の授業で、みなさんも耳にしたことがあるでしょう。
事の発端は、その2年前の1858年。幕府が天皇の許可を得ずに、アメリカと日米修好通商条約を結んだことでした。
この幕府の勝手な行動に対し、天皇を尊び外国を排除しようとする「尊王攘夷派」が猛反発します。
しかし、幕府は彼らを「安政の大獄」という大弾圧でねじ伏せました。そして、この弾圧の首謀者こそが、井伊直弼だったのです。
つまり、「桜田門外の変」は、安政の大獄で井伊直弼に煮え湯を飲まされた尊王攘夷派の浪士たちが、積年の恨みを晴らすべく起こした、まさに歴史的リベンジマッチだったわけです。
井伊直弼が討たれたのは、近江牛の献上を断ったから?
……と、ここまではよく知っている人もいるでしょう。
しかし、じつは「井伊直弼が討たれたのは、幕府が楽しみにしていた近江牛の献上を断ったからだ」という、にわかには信じがたい説もあるのです。
つまり、「牛肉のせいで、桜田門外の変が起こった」わけですね。
これはかなりマイナーな説で、もしかしたらただの作り話にすぎないかもしれませんが、肉好きなら知っておいて損はないネタですよ!
先ほども述べたように、江戸時代は、公式には肉食が禁止されていました。
しかし、そんな中でも、近江の牛肉はその美味しさゆえ、特別な扱いを受けていました。
味噌漬けや干し肉として加工され、「養生薬」という名目で将軍家や各地の大名へと献上され、密かに食べられていたのです。

