牛肉ブームを支えた影の立役者・中川嘉兵衛

 牛肉の需要が爆発的に増える中で、その大きな貢献者となったのが、と畜場と牛肉店を開いた中川嘉兵衛でした。

 中川は、牛肉食が爆発的に流行する前の1866年という早い時期から、横浜の元町一丁目で牛肉の販売を開始します。

 さらに翌年の1867年には、江戸の泉岳寺近くにあったイギリス公使館のそばにも牛肉店を開業しました。

 この牛肉店の開業に先立って、彼は白金台今里町に江戸で初めて政府公認のと畜場「今里」を開設しました。

 これにより、牛鍋屋の急増とともに爆発的に高まった肉の需要に、安定して対応できるようになったのです。

 こうして、明治天皇によって肉食が完全に解禁されるその時まで、庶民は隠れて肉を食べ続けていました。

 やはりいつの時代も、肉の美味しさの虜になる人は多くいるものですね。

 余談ですが、すき焼きの名店「今半」の店名には、意外な由来があります。

「人形町今半」の高岡社長から直接聞いた話ですが、その名は、先ほどご紹介した中川嘉兵衛によって白金台今里町に置かれたと畜場「今里」から、品質と安全のために直接肉を仕入れていたことにちなんで命名されたそうです。

「人形町今半」では、明治天皇が牛肉を食した1月24日を「牛肉記念日」とし、年に一度のすき焼き食べ放題を実施しています。  

 これぞ、まさに贅沢の極み!

 もしこの日に牛肉を食べる機会があれば、日本の牛肉文化の歴史に思いを馳せてみるのも一興ですね。

 そもそもなぜ日本では肉食が禁止されていたのか? その理由はこちら。「仏教の教えで牛肉食はダメ」は建前?天武天皇の「肉食禁止の詔」4月から9月までの期間限定の謎