実際、当時の医者も滋養強壮のために牛肉を食べることをすすめていました。江戸時代中期の医師で儒学者の香川修徳は、「邦人は獣肉を食わざるが故に虚弱となり」(日本人は肉を食べないから虚弱になる)と説いています。

 そして、そんな特別な近江の牛肉を生産していたのが、井伊家を藩主とする彦根藩でした。

『巡見御用留』という古文書に記された井伊家の贈答用一覧表を見てみると、薬用や寒中見舞いとして、たしかに牛肉の味噌漬けや干し牛肉、牛肉の粕漬けや酒煎牛肉などが、将軍家や老中などに贈られていたことがわかります。

 なかでも、水戸藩主の徳川斉昭は「滋養のためだ」と言って近江牛をこよなく愛し、井伊家から贈ってもらうたびに、その返礼として小梅の塩漬けを贈っていました。

彦根藩の「肉断ち」により、牛肉の献上が止められた

 しかし、彦根藩の井伊直弼が大老になると状況が一変します。じつは井伊直弼、かなりの仏教好きだったのです。

 そのため「殺生禁断」の教えにもとづき、領内での牛馬の殺生を禁じてしまいました。

 結果として、水戸藩は彦根藩からの牛肉の献上を突然止められてしまったのです。

「なんということだ……」

 この報に、徳川斉昭は頭を抱えたことでしょう。

彦根藩から届く近江牛をこよなく愛していたという水戸藩主・徳川斉昭(提供:akg-images/アフロ)

 徳川斉昭は仕方なく、近江牛以外のいろいろな牛肉を試して食べてみるも、やはり近江牛の口どけと旨味には到底かないません。