鎌倉時代の役牛図鑑『国牛十図』では、すでに「但馬牛」「筑紫牛」が選ばれていた

 天武天皇による「肉食禁止令」から、時は流れて鎌倉時代――。

 武家政権が敷かれ、武士の時代が始まります。

 戒律を厳しく守って極楽浄土を願う貴族社会とは裏腹に、狩りで獲物を手に入れ、豊富な動物性タンパク質を確保する武士たちは、肉食をちゃっかり楽しんでいたようです。

 この時代の、現代にも残る興味深い資料があります。

 河東牧童寧直麿によって書かれた、全国10カ所の牛の特徴が図解された『国牛十図』です。

『国牛十図』に描かれた筑紫牛(河東直麿 記『国牛十図』 国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

 この『国牛十図』で選ばれている10カ所は、鎌倉時代当時の主要な牛の産地だったと推測されていますが、その視点はあくまで耕作や運搬に使われる「役牛(えきぎゅう)」としてのもの。

 つまり、食用の牛ではなく、働く牛としての能力が評価されていました。

 しかし、興味深いことに、その中には、なんと今日まで続くブランド和牛のルーツである但馬牛、淡路牛、隠岐の筑紫牛がすでに選ばれています。

 これは、食べるための牛も、働くための牛も、結局は恵まれた環境がいい牛を育てる絶対条件であることを示唆しているのでしょう。

『国牛十図』に記載されているのは、次の10頭の牛たちです。

 品種とまではいかないものの、すでに産地別の特徴が細かく描かれていることから、当時の牛への関心の高さがうかがえます。
 
・筑紫牛(現在の福岡県中部〜西部)
・御厨牛(現在の佐賀県、長崎県) 
・淡路牛(現在の兵庫県淡路島)
・但馬牛(現在の兵庫県北部)
・丹波牛(現在の兵庫県北東部、京都府中部、大阪府の一部)
・大和牛(現在の奈良県)
・河内牛(現在の大阪府南東部)
・遠江牛(現在の静岡県西部)
・越前牛(現在の福井県)
・越後牛(現在の新潟県)

 さらに興味深いのは、この『国牛十図』に描かれている牛たちの毛色です。

 但馬牛は白く、淡路牛は白ぶち、越前牛は茶色などで描かれていますが、黒毛の牛は1頭も描かれていません。

 ここから、この時代には各地で大陸から伝わった牛がそれぞれいる状態であり、まだ「黒毛和種」や「褐毛和種」といった、現代のように特定の毛色が「和牛」の基準だと決められていなかったことがわかります。

 この貴重な『国牛十図』は、デジタルデータを国立国会図書館のウェブサイトでもご覧いただけます。ぜひ、興味のある方は調べてみてください。

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