2026年2月16日、ミラノ・コルティナ五輪、フィギュアスケート、ペアで日本初の金メダルを獲得した三浦瑠来・木原龍一組 写真/PA Images/アフロ
(松原孝臣:ライター)
熱戦が続く、ミラノ・コルティナ五輪。「りくりゅう」こと三浦瑠来、木原龍一組がペアで日本初の金メダルを獲得するなど、日本人が世界のトップで戦うのが当たり前になっている現在、そこに至るまでには、長い年月にわたる、多くの人々の努力があった——。
日本人がフィギュアスケート競技で初めて出場した1932年レークプラシッド大会から2022年北京大会までを振り返るとともに、選手たちを支えたプロフェッショナルの取材をまとめた電子書籍『日本のフィギュアスケート史 オリンピックを中心に辿る100年』(日本ビジネスプレス刊)を上梓した松原孝臣さんが、ミラノ・コルティナオリンピックでフィギュアスケートのペアで日本人初のメダルに輝いた「りくりゅう」の活躍を振り返ります。
フリーは世界歴代最高得点
圧巻だった。
2月16日、「りくりゅう」の愛称で知られる三浦璃来&木原龍一が、フィギュアスケート・ペアで金メダルを獲得した。日本ペアは今まで表彰台に上がったことがない。つまり、日本初のメダルを、優勝で現実としたのだ。
試合の展開も劇的だった。ショートプログラムではミスが出て5位と思いがけない出だしとなる。
だがフリーでは、世界歴代最高得点をマーク、大逆転劇を演じた。
「まだ実感がわいていないです」
三浦は言うと、こう続けた。
「昨日のミスからここまで立て直せて、今までやっていた強さを出せて、そこがいちばんうれしいです」
木原はショートプログラムを終えてずっと泣いていたという。
「今回は私がお姉さんでした」と三浦は笑顔で語った。
一方の木原は、「今回はずっと助けてもらって、昨日終わった時点で『全部終わっちゃったな』と思っていたんですけど、璃来が力強く引っ張ってくれたのでなんとか戻ることができました」と感謝の言葉を捧げた。
ずっと泣いていた、というように、ショートプログラムの失敗は、木原に大きな打撃を与えた。そこから立て直せた要因は、周囲の支え、そして何よりも三浦のサポートが大きかっただろう。三浦とは2度目のオリンピックだが、木原はその前に2度オリンピックに出場するなどキャリア等は木原が上回る。これまでは木原が三浦をサポートする場面が多かったが、オリンピックでは立場が変わった。
「毎試合サポートしてきてくれたからこそ、今大会は私が強くないと」
三浦はそう思ったと言う。そしてそれを実行できたのは、木原のサポートを受けつつその中で成長し、スケーターとしてたくましさを身に着けてきたからこそだ。そうした関係を2人が築けたのも、互いに真摯に向き合い、同じ方向を向いて歩んできたからこそ。
「出会いは奇跡的だと思います」
これまでに三浦も、木原もそうした趣旨を言葉にしてきた。スケートの技術面での相性、そして人としての相性、まさに出会うべくして出会った2人だからこそ危機を乗り越え、手にすることができた世界一という栄光だった。
