弟の死とアンパンマン

 翌昭和21年(1946)、嵩は中国から復員し、高知の御免町の家に帰った。

 そこで育ての母である伯母・キミ(寛の妻)から、弟・千尋の戦死を知らされる。

 海軍予備兵に志願した千尋を乗せた船は、台湾とフィリピンの間のバシー海峡で、アメリカ海軍の潜水艦の雷撃によって沈没し、千尋も命を落としたのだ。

 アンパンマンには、この亡き弟の面影が宿っているのかもしれない。

 千尋は子どもの頃、顔がコンパスで描いたように丸かった。晩年、嵩は「アンパンマンの顔を描くとき、どこか弟に似ているので、胸がキュンと切なくなります」と語ったという(高知新聞社『やなせたかし はじまりの物語 最愛の妻 暢さんとの歩み』)。

 その後、嵩は戦友に誘われ、廃品回収の仕事に就いた。

 アメリカ兵の捨てた雑誌を見るうちに、文化的な仕事に就きたくなった嵩は、高知新聞社の採用試験を受け、合格する。

 この高知新聞社で、嵩は運命の女性と出会う。

 後に妻となる小松暢である。