伯父の家へ

 嵩の母・登喜子は、濃い化粧を施し、香水の匂いを強く漂わせた、派手好みの人目を惹く女性で、周りには常に何人かの男性の存在があった。

 そんな登喜子を色々な人が悪く言ったが、嵩は、他の子どもの母親よりも綺麗なことを嬉しく思っていたという(やなせたかし『アンパンマンの遺書』)。

 大正15年/昭和元年(1926)、嵩が7歳の時、登喜子の再婚に伴い、嵩は弟・千尋が養子になっている、御免町の伯父・柳瀬寛のもとに引き取られた。

 ここでも登喜子を悪く言う人は多かったが、嵩は少しも母を恨まなかったという。

 嵩は千尋のように養子にはならなかったが、伯父夫妻は嵩にも愛情を注ぎ、やさしく接してくれた。

 そんな伯父夫妻を、嵩は「お父さん、お母さん」と呼んだ。

 しかし、養子である千尋は奥座敷で伯父夫妻と川の字になって寝ていたが、嵩は玄関横の書生部屋で、嵩の叔父にあたる中学生の正周(まさちか/寛や清の年の離れた末弟)と一緒に寝起きするなど、扱いにまったく差がないわけではなく、些か寂しさを感じていたという。

 千尋は明るい性格の、スポーツ万能の優等生だった。

 優秀な弟と比較され、嵩はコンプレックスを抱くこともあった。

 そんな嵩の心の拠り所は、絵だった。

 嵩は幼い頃から絵が好きで、絵本を見るか、絵を描いていれば、何時間も飽きることなく過ごすことができたという。