最後の最後まで蔦重らしく

 寛政8年(1796)、蔦重は脚気を患い、病床に伏している。

 寛政9年(1797)になっても快癒することはなく、5月6日、危篤状態に陥った。蔦重は48歳になっていた。

 自身の死が迫っているのを悟った蔦重は、「自分は正午に死ぬだろう」と予告。蔦重亡き後の蔦屋について番頭たちに指示を出し、妻と別れの言葉を交わした。

 しかし、予告した正午を過ぎても、蔦重が息絶えることはなかった。

 すると、蔦重は「自分の人生はもう終わったのに、命の幕引きを告げる拍子木(ひょうしぎ)が、まだ鳴らない。遅いではないか」と、周囲の人々に笑いかけたという。

 人生を歌舞伎舞台にたとえた(安藤優一郎『蔦屋重三郎と田沼時代の謎』)、蔦重らしい粋な言葉を残すと、静かに目を瞑り、夕刻に息を引き取った。

 ドラマではどんな蔦重が描かれるのか、見届けたい。