「平成のコメ騒動」の教訓
コメのミニマム・アクセスについては、実施の2年前、1993年に発生した「平成のコメ騒動」も大きく影響しています。
この年の初夏から盛夏にかけ、日本は長雨と日照不足による稲の生育不良で、コメが記録的な不作となりました。冷夏に見舞われた東北は特に不作。下北半島では収穫ゼロという地区も続出する事態となりました。店頭からコメは消え、新米の出回る秋にはコメの価格が高騰していきます。これが、平成のコメ騒動です。
この年は結局、日本全体で1000万トンの需要に対し、収穫は780万トンにとどまりました。不足分は実に200万トン以上。そのため、日本は「コメは輸入させない」という国是とも言える方針を一時的に破って、海外からコメを緊急輸入することにしたのです。
それに真っ先に応じたのは、タイでした。ただ、同国から輸入されたインディカ米は日本人の好みや調理法に合わず、大量の売れ残りが発生する事態にもなりました。
一方、記憶に新しいのが2024年夏のコメ不足と、今に続くコメの価格高騰です。同年6月末の時点では主食用のコメ在庫が史上最低の少なさとなり、夏過ぎには店頭からコメが消えてしまいました。国民の不安も募ったことから、昨今の状況は「令和のコメ騒動」とも呼ばれています。
長年の減反政策やコメ作り農家の高齢化・廃業などにより、実はコメ作りの現場は細り続けています。慢性的なコメ不足と高値は今後も続くとの見方も広がってきました。トランプ政権との関税交渉で「コメの輸入拡大案」を日本側のカードにしようという動きは、こうしたなかで浮上しているのです。