「ミニマム・アクセス」とは?
コメは日本人の主食であり、第2次世界大戦中の1942年から「食糧管理法」に基づく食管制度の下で、生産から流通・備蓄、消費までを政府が管理・統制していました。この法律が廃止されたのは1995年。同時に食糧法が新たに制定され、コメの流通は段階的に自由化されていきます。そして、2004年には食糧法が改正され、コメの流通はほぼ完全に自由になりました。
こうした流れのなかで、コメの輸入も始まります。最初は「ミニマム・アクセス」でした。
1980年代後半、世界はグローバル経済への飛躍を前にして、自由貿易の枠組み作りを続けていました。中心的な役割を担っていたのは、多国間通商交渉の枠組み「関税および貿易に関する一般協定」(GATT=General Agreement on Tariffs and Trade)です。
GATTは1986年から「ウルグアイ・ラウンド」というロングランの交渉を展開。およそ8年もの年月を費やし、最終的には自由貿易を推進する新たな国際組織「世界貿易機関」(WTO=World Trade Organization)の設立に至ります。
そのウルグアイ・ラウンドの終盤、1993年に合意されたのが、コメの「ミニマム・アクセス」という制度です。この取り決めでは、日本は海外から最低限の量を輸入しなければなりません。実施は1995年からで、この制度によって日本へ輸入されたコメを「ミニマム・アクセス米」と呼びます。

それまでの日本では、コメの自給率がほぼ100パーセントで輸入も厳しく制限されていました。「コメは1粒たりとも輸入させない」が政府・自民党の大方針だったのです。しかし、国際貿易の自由化を進めるなかで、「コメの部分開放」は始まりました。
ミニマム・アクセスによる輸入量は当初、国内消費量の4%・約40万トン。その後は少しずつ増枠され、現在の無関税枠は約77万トンです。半分近くは米国産で、タイや中国などが続いています。国産のコメを守るために主食用の輸入には10万トンという上限があるため、大半は加工用・飼料用となっています。