一橋治済像

(鷹橋忍:ライター)

今回は、大河ドラマ『べらぼう』において、生田斗真が演じる一橋治済を取り上げたい。ドラマで描かれているように、様々な事件の黒幕だったのだろうか。

御三卿とは

 八代将軍徳川吉宗の次男・宗武(むねたけ)を祖とする「田安家」。

 四男・宗尹(むねただ)を祖とする「一橋家」。

 九代将軍・徳川家重(吉宗の長男)の次男・落合モトキが演じる重好(しげよし)を祖とする「清水家」。

 この徳川将軍家一門の三家を「御三卿」という。

 御三卿の家格は、御三家(尾張徳川家、紀伊徳川家、水戸徳川家)に次ぐとされるが(教育社編『日本史重要姓氏辞典』)、城持ちではなく、江戸城の郭内に居を構えた。田安、一橋、清水の呼称は、江戸城内の彼らの屋敷の場所に由来する。

 御三卿は正式には徳川を称し、将軍家に跡継ぎがいない場合は養子を出した。

 御三家が独立した大名であるのに対し、御三卿は「将軍家に附属し、養われる存在」で、独立性に乏しかったといわれる。

 御三卿の筆頭は田安家で、一橋家、清水家の順で続く。

四男だが、家督を相続

 一橋治済は一橋家の初代・宗尹の四男で、二代当主である。

 治済は幼名を豊之助といい、宝暦元年(1751)に、江戸一橋邸で生まれた。

 寛延3年(1750)生まれの蔦屋重三郎より一つ年下となる。

 母は、宗尹の側室・おゆかの方(細田氏)だ。

 治済は吉宗の孫にあたる。

 眞島秀和が演じる十代将軍・徳川家治、寺田心が演じる松平定信(田安家)とは、従兄弟の関係となる。

 宗尹の長男・重昌は、延享4年(1747)に福井藩藩主・松平宗矩の養子となるよう幕府から命じられ、二年後に福井藩主を継いだ。

 だが、重昌は宝暦8年(1758)に16歳で死去したため、宗尹の三男・重富が重昌の養子とされ、あとを継いでいる。

 宗尹の二男はすでに早世しており、四男の治済が、同年に嫡子となった。

 明和元年(1764)父・宗尹が没すると、跡を継ぎ、一橋邸の当主となった。治済、14歳の時のことである。

 安永2年(1773)10月には、長男・豊千代が誕生している。後の十一代将軍・徳川家斉(いえなり)である。