源内が『放屁論後編』につづった報われない人生の愚痴

 家基の急死についての真相究明を諦めた意次。納得できなかったのが、安田顕演じる源内である。

 源内からすれば、意次に頼まれて調査を開始して、ようやく真相に近づきつつあるだけに、中途半端な形で幕引きはしたくなかったようだ。また「ここで終えられては、田沼様に疑いがかかったままになりましょう」と食い下がっているように、意次に嫌疑がかかっている状況が許せないという、源内の思いもあった。

 意次は「忘れろ。それがお前のためでもある。ご苦労であった」と小判を渡すが、それを受け取らない源内。売り言葉に買い言葉で、意次にこんなことまで言い放った。

「俺が今までどれだけあなた様に知恵をお授けしてきたことか。そのおかげであなた様は覚えもめでたくご老中。俺は山師どころか今やイカサマ師だ! そりゃあ、あなた様が俺の手柄をぶんどってるからじゃねえですかね」

 これには意次も「さまざましくじったのはお前の力不足だろう!」と応酬している。

 もちろん、「源内が意次に依頼されて家基の死の真相究明に動き出した」ということも、「2人が決裂に至った」ということも脚色であり、史実ではない。だが、源内の「俺は山師どころか今やイカサマ師だ!」という叫びには、リアリティーがあった。

 というのも、源内がエレキテルを修理した翌年に著した『放屁論後編』で、まさに同じような心境がつづられているからだ。自身をモデルにした「貧家銭内(ひんかぜにない)」は、自身の生涯を振り返りながら、こんな愚痴もこぼしている。

〈知恵がある者が知恵のない者をそしるにはバカといい、たわけと呼び、アホというが、知恵なき者が知恵あるものをそしるには、それらの言葉を使うことができない。ただ、『山師』とそしるほかないのだ〉

 続けて〈私はただ及ばずながらも、日本に利益をもたらしたいと考えているだけなのに〉と、自分の仕事がなかなか認めてもらえない悔しさもにじませている。

 源内のように絶えず変化を求めて動き回るタイプは、歯車が狂い始めたときに、行動力があるだけに暴走しやすい。源内の鬱屈した心情が思わぬ凶行へとつながっていく。

香川県さぬき市の平賀源内記念館に展示されている「エレキテル」(写真:共同通信社)