源内の転居先が“不吉の家”と呼ばれたワケ

 今回の放送では、源内の悲惨な晩年もしっかりと描かれた。ドラマでは、富本節の富本豊前太夫(とみもと ぶぜんだゆう)や三味線方の名見崎徳治(なみざき とくじ)との雑談の中で、蔦重が源内にまつわるこんな噂を聞かされる場面があった。

名見崎徳治「もう鬼外先生(源内のこと)はいかれちまったんじゃないかね」
富本豊前太夫「近頃じゃ“不吉の家”に住み始めたらしいしな」

 不吉の家について蔦重は2人から説明を受けることになるが、実際の源内も安永8(1779)年の夏に神田大和町から神田橋本町に転居している。

 その転居先は、貸金業を営む神山検校の旧宅である。神山検校も、鳥山検校と同じく不当な高利貸しによって検挙され、野垂れ死にしている。そればかりか、神山検校の子どもも屋敷の井戸に落ちて亡くなっている。神山検校の旧宅が“狂宅”とされたゆえんである。

「幽霊が出る」という噂まで信じる必要はないにせよ、わざわざそんなところに住むこともないだろう。

 ドラマでは源内が「こんなとこ住む理由なんて一つしかねぇじゃねぇか! タダだからだよ」と蔦重に説明しているが、タダより高いものはない。まさにこの「不吉の家」を舞台に惨劇が起きることになった。